働く母のすすめ

You are stronger than you think.

頭でごはんを食べる

息子は感覚が少し敏感なタイプだ。
生活に一番困るのは味覚の過敏さで、児童精神科医から「診断をつけてもよい(つけなくてもよい)」と言われるに至った一番のポイントはその過敏さとこだわりの強さだった。

けれども、学年が上がるにつれ、少しその様相が変わってきたように思う。小さい頃は、見た目に馴染みがないものは一切NGだったのが、使われている食材が何か、味付けはどのようなものかを説明し、明確化することで受け入れられるものが増えてきた。相変わらず「野菜炒め」のように色々な具材がたくさん入っている複雑なものは好まず、田作り、黒豆、たたきごぼうのような単品食材を使ったシンプルな味付けのものを好むことには変わりはないのだけれど、「自分が好きそうな料理」の基準が本人の中でも明確化してきたようで、その独自基準に合う料理であれば初見でも食べられることが増えてきた。言語で説明するのは難しいのだけれど「これは、出汁と醤油で味付けされているのでおいしいだろう」「このお店のご飯は自分の口に合うものが多いので大丈夫だろう」のような、通常であれば意識しないor意識しないうちに処理されているようなことを、一つ一つジャッジしながら口に運ぶか否かを決めている感じがある。外食であれば、お店の清潔さなども「食べる」「食べない」を決める重要なファクターになっていて、同じチェーン店のお店であっても雑然とした店舗には行こうとしないし、キッチンやカトラリーの汚れなどもじっと見つめていて、納得できないと早々に「ごちそうさま。もうお腹いっぱい。」と箸を置いてしまう(夫も私も清潔さはさほど気にしないタイプなので親の影響ではないと思う)。総じてみてみると、本人の中に「安心して食べられるもの」について、味、環境、経験などに基づいて評価されたデータが蓄積されていて、そのデータと照合して"合格"した食べ物だけを食べている、という機械的な感じがするのだ。最近では、味が苦手でお茶を飲まないにも関わらず、「茶の湯」について学んだ影響で抹茶を好むようになったのだけれど、"本人の好奇心" > "(本人が想定する)リスク"となった場合にも突如としてそれを食べる/飲むようになったりもすることもある。
そんな息子を見て、頭でご飯を食べているようだな...。といつも思う。


以前、児童精神科医と色々話していた時に「息子さんは(疾患の影響で)苦手な部分を、学習することでカバーしていけているわけですね。」と言われ、「あー、まさにそれだ。」と思った。学習して「安心」のデータを増やしていけば、他の人と同じ(ように見える)行動が取れるようになる。食べ物の件に関わらず、息子は安心できない理由を言語化して伝えることが比較的得意なので(図らずも、安心できない理由を身近な大人や母親(私)に説明すれば、解決できるという成功体験を幼少期から積んできたので、言語化が上手くなった側面もある)、私はそれが「安心」できるものであることを、手を変え品を変え、時間をかけて伝えていくことにしている(おうちで出来る手軽な認知行動療法ともいえる)。

 

しかしながら。こうして、学習でカバーできるタイプの子どもには、それはそれで苦労もある。というお話はまたいつか。