働く母のすすめ

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息子(9歳)の文字習得過程の話

相変わらず息子の成長観察が楽しい。

我が家は先取り教育を一切していないので、息子は小学校に入学するまで、文字について体系的に習ったことがなかった。ひらがなと一部のカタカナは、普段の生活で見聞きしながら、なんとなく読めるようになってきているのかな?くらいだったし、書く方はひらがなとカタカナがチャンポンな状態で、字のサイズや形、並び、書き順などもめちゃくちゃで(線を「下から上」「右から左」など大人から見ると「ありえない」方向に引いたりする)、これはある種の芸術か!?と思って、興味深く観察していた。

 

小学校に入ると、猛スピードでひらがなとカタカナを習う。1年生の後半になると漢字学習も始まり、息子はお手本の文字を隣りに書き写すだけで精一杯という感じだった。特に漢字は、ひらがなやカタカナよりも画数が多く、見たこともない(いや正確には目にはしているはず)パターンで線を配置していく必要がある。最初はとにかく「縦に線を1本。次は横に2本...」などと、ただただ線の配置を覚え、それを書くことのみに必死だった。

そんな中で、息子は、ひらがなやカタカナにある種のパターンがあることを見出し始めていた。けれども、パターン認識(分類)には誤りが多く含まれていた。例えば「あ」や「め」「お」など、一回転した後、ぐるりと丸く書く文字と、「ま」「は」「な」のようにぐるりと一回転するのだけれど、丸く書くのではなくて、右下で留める文字(説明むずい)は混同しやすく、「ま」「は」「な」の最終画が「あ」「め」「お」のようにぐるりと丸まってしまったりしていた。2年の頃は学級が崩壊していたこともあって、"教師"あり学習が上手く進まなかったのだけれど、3年生になって、成長というファクターも加わり、この辺りのパターン認識がかなり上手くいくようになってきた。この手のパターン認識で最後に残りがちなのが、「ツ」と「シ」、「ソ」と「ン」の差の抽出なのかなと思う。

 

2年生になると、一気に学ぶ漢字の量が増え、その形も複雑なものが増えてくる。学校の宿題の漢字ドリルでは、漢字を繰り返し練習することはできても、漢字を「文章の中で」使う練習は出来ない。息子の場合、漢字まじりの文章は読めるのだけれど、自分の書いた文章の中に、漢字を織り込むことに、また1つハードルがあった。なので、2年生の間は、文章の中に習った漢字をできるだけ入れ込む練習をしていた。私に「それ、習った漢字で書けるから書き直してね〜。」と言われ、しぶしぶ書き直すというのを何度も何度も繰り返しているうちに、今度は「今まで習った漢字で、発音的に使えそうな漢字を文章に入れ込む」という誤りを示すようになった。これは、学校のテスト的には「不正解」だけれど、学習過程としては「成功」だと思った。私が「惜しい!音は合っているけれど、漢字は音だけじゃなく、意味も考えて使うものなんだよ。」という情報を入力すると、息子はまた新しい"学習"を始めた。本当に子どもの学習過程は面白い。

 

3年生になると、漢字にもパターンがあることを学習したようで、縦横の線を必死に組み立てていた頃とは違い、格段に漢字の習得に必要な時間が短くなった。そして、習っていない漢字でも「あ、なるほど。左側に月を書いて、右側にはxxを書くのね。△っていう漢字に似てるから、まだ習ってないけど書けるわ。」などと言い始めた。さらに「あ。それってこんな感じの字だよね?○○くんの名前の字だから見たことある。」などと、未学習だけれど、日常で見たことのある漢字を想起して、文字化することが出来るようになってきた。これらは、息子の中に、漢字のパターンのライブラリーが形成されてきていることを意味している。また、こうやって漢字をたくさん使えることが喜び("報酬")となって、さらに新しい文字を使おうとさらに学習を進めている。

 

最後に本題のような余談のような話(書いているうちに、ここに流れ着いた)。
人工知能機械学習ディープラーニングなどという分野が流行っているようだけれども、そうした分野に携わるのであれば、子育ては上述したような面白い発見がたくさんあってとても有意義な経験になると思う。というか。それらの分野に関わらず、シーズもニーズも、常に生活の中に落ちているので、子育てに参画することは、仕事にとって決してbehindではないということは、もっと世の中に知られてほしいと思っている。