働く母のすすめ

You are stronger than you think.

自分のペースで会話をするとストレスが軽減するという話

例によって、父が事故で入院した時の話をする。

父は、頭部外傷により、一時的に精神症状を呈した。ある時は、警察の陰謀により捕らわれの身となっていたし、ある時は遠方の病院に入院していたりもした。病室には毒ガスが充満していると言って断固病室に入らない日や、他の患者さんに「タイでお会いしたカーンさんじゃないですか!」と話しかけたりする日もあった。昼間はどれだけ揺さぶって起こそうとしても熟睡して起きないし、夜は睡眠導入剤もほとんど効果がなく、妄想を炸裂させて、あちこちと病院内を徘徊した。病院側からキーパーソン認定された私は、自宅に帰ることも出来ずに、父に付き添って妄想の相手をし、夜の病院を一緒に徘徊した。当時の上司はとても人間的な人で、私は2-3週間の休暇を取らせてもらって、付きっ切りで看病していた。

その日は、確か海外の病院に入院している設定になっていて、父は「ナースステーションにパスポートを預けてあるから、それをもらって家に帰ろう。」と言い出した。私は、どんなにトンチンカンな話をしていても出来るだけ、きちんと話を聞き、父の尊厳を保たねばと思っていた。忙しい看護師さんに迷惑をかけるのもと逡巡したけれど、父の「帰りたい」という気持ち(父の妄想の多くは、自分の意思に反して捉われているので、帰らねばならないというシチュエーションのものだった。ある意味、父の深層にある気持ちが表れていると思った)を押さえるのは難しいかった。「じゃあ、ちょっと看護師さんに聞いてみる?」とナースステーションに行くと、いつもドライで少し近寄りがたいと感じていた男性看護師さんがいた。父が「帰らないといけないので、パスポートを返して欲しい。」と言うと、看護師さんは丁寧に事情(妄想)を聞いて、相槌を打った後「ところで、◯◯さん(父の名前)、今日、ちょっと目が見えにくいとかないですか?」と唐突に言った。突然のことに驚いていると、看護師さんは「◯◯さんの眼鏡なんですけどね。ちょっと歪んでいるようなんです。ちょっとお借りしていいですか?」と父の了解を取って、父の眼鏡を外し、眼鏡のツルを直す…ふりをした。「これで大丈夫だと思います。どうです?よく見えるようになったでしょう?」看護師さんにそう聞かれた父は、真面目に辺りを見回しながら「そういえば…そうですね。よく見えるようになりました。」と言った。「よかったです。ちょっとツルが曲がっていたみたいですよ。」と言うと、父は「そうですか。ありがとうございます。」と言って、今度は自分で眼鏡を取り外して、しげしげと眼鏡を見つめ始めた。看護師さんの戦術に感動しながら、私は「ありがとうございます。」と言って、父とナースステーションを後にした。ダメ押しで「眼鏡、治してもらってよかったね。いつからツル曲がってたんやろ?」と父に話しかけると、父は満足げに辺りを見渡しながら「うん。よく見える。」と言った。その後、父はパスポートのことを口にすることはなかった。

近しい家族は、どれだけ支離滅裂なことを言われても、つい「きちんと話を聞いてあげなければ!」と意気込み過ぎてしまう。父が何をどれだけ記憶しているかは分からないし、これまでと変わってしまった父が不憫に思えるしで、父の気持ちに寄り添う is best!と思いがちになってしまう。そういえば、妄想炸裂の父と一番話が盛り上がったのは、よい意味でも悪い意味でも(!)、後先考えてない夫だった。父の妄想を全肯定で「え?お義父さん、それはすごいですね!その後は、どうしたんですか?やっぱり海より川なんですね。なるほど。」などと話を合わせて、支離滅裂な会話を続けている間、父は始終ニコニコしていた。

相手の気持ちに寄り添うことも大切だけれど、生真面目にそれを続けてしまうと、介護する側がストレスで潰れてしまう。相手に寄り添いつつも、相手のペースに巻き込まれることなく、自分のペースで、自分の土俵で会話をする技術が、ストレスを軽減に繋がるし、時には相手の笑顔にも繋がることになるのだと思った。こちらが「まとも」と思える会話に誘導したり、妄想や認知障害に対して「それは間違いである」と分かってもらおうと試みるのも、相手のペースに巻き込まれてしまっているからこその行動だ。何が「自分のペース」で何が「相手のペース」なのか、それは、その状況をどれだけ客観視できているかということが、1つの指標となるのだと思う。

 

これは、介護だけではなく、色んなストレスフルな場面でも適用できる。イヤイヤ期の幼児の「この靴は違う!」「長靴もイヤ!」に真っ向から立ち向かって「じゃあ、お出かけしないのね?!(ムキー!)」となるのは、完全に相手のペースに巻き込まれてしまっているからで、「あ、ところで、今日はエレベーターに乗って行く?それとも階段で行こうか?たまには階段で行くのも楽しいよねぇ?また猫さんに会えるかも知れないよ!」「お出かけ先でお昼ご飯食べようか?何にしよう?おうどんかな?この前、みんなで行ったパン屋さんにする?」などと話題を変えつつ、別の選択肢を準備して「選択した」という満足感を子どもに提供した上で「じゃあ、急いで行かないといけないね。靴履いて行こう!」などと自分のペースで会話を展開できると、育児のストレスもぐっと軽減できる(親も子も)。こうした習慣は、子どもがもう少し成長してくると、多面的に状況を捉える、発想を大きく変更して物事を捉えてみるという練習にもなって楽めるし、おともだちトラブルがあった時に、子どもが気持ちを整理するのにも(そこそこ)役立ったりする。

 

それから、職場でうんこ(注:関西弁)な上司がいる場合にも、自分のペースで話すことがストレス軽減に役立つ。最早、モラル的な意味で「何言っているかわからない」相手に、ムキー!となるのは、相手の支離滅裂な言い分を真っ向勝負で受け止めるからであって「わあ。この人、完全にうんこ....。どうやって生きてきたら、ここまでうんこになれるんだろうか...。」と思いながら「同じ土俵に乗らない」「自分のペースを貫く」を徹底すれば、一時的にイラっとはしても、半減期短めにストレスを消化できる。

 

自分のペースで会話をするということは、時に相手の気持ちを蔑ろにすることにも繋がって(いると感じやすく)、それゆえ、特に、介護や育児の場面では抵抗を感じることも多いのだと思う。また、職場の上司などあれば「当然、話が通じるであろう。いつかは話がわかってもらえるかもしれない」という期待があるので、「同じ土俵に乗らない」と割り切るのが難しかったりもする。
けれど、自分がストレスを溜めてしまっては、元も子もないので、他人との距離を的確にとっていくことに後ろ暗さを感じる必要はないと思う。むしろ自他の境界線が、曖昧だとストレスが増えるので、積極的に、他人との距離をとる必要があるとすら思っている。