働く母のすすめ

You are stronger than you think.

食べられない理由と食べられる理由

コロナの感染者数が減り、厳しかった職場のレギュレーションが緩和されたのを受け、この週末は家族で小さなお出かけをした。奇跡的に息子の習い事が全てお休みだったし、夫には気分転換が必要だし、人事を尽くし切った自分へのご褒美という意味でもあった(悲しいことだけれど、天命が下ってしまったらご褒美を...という話にならない可能性もある!)。

せっかくなので少しおいしい食べ物をいただこうと調べていったお店が、ある種の"アタリ"であったので、記しておきたいと思う。何が"アタリ"であったかというと、今回食べた料理は、地産地消を謳ったシンプルな野菜中心のコース(といってもかなりカジュアルなもので、マナーなどをきっちりする必要のあるものではない)だったのだけれど、これが予想外に息子にヒットしたのだ。これまでも書いたり呟いたりしてきた通り、息子は味覚が少し敏感で食べられないものが多い。児童精神科で"診断をつけてもいいし、つけなくてもいい"と言われた理由もこの味覚の過敏さが最大の原因であった。

コース料理は、そんな息子が苦手な要素が満載の形式だと思う。味も量も選べない料理を「あなたの分ですよ」と目の前に置かれてしまうこと自体がちょっと負担になっている可能性すらある。いつもは、夫や私が先に同じメニューを食した上で「これはxx(材料)を○○(調味料)で味付けした料理。多分、好きな味だと思うよ。」などと説明し、抵抗する息子に「ひとくちでいいから」と食べさせていた。運良く気に入れば食べるのだけれど、そもそも警戒し過ぎて、そんなひとかけらで味が分かるわけないやん!という量しか口にせず、結果「ちょっと苦手な味...」首を横に振るという流れになることがほとんどなのだけれど、それでも、少しでも食べられるものが増えればと色々と挑戦してきた。実際に、学校給食(給食の味付けとは比較的相性がよいことと、ルールを逸脱したくない性質のため、幸い給食はよく食べる)など、色々な食材に触れる機会のおかげで食べられるようになったものも増えているので、息子には"無理強いはしないけれども、挑戦はする"というスタンスでいる。

今回のお店を選んだ時も「この料理なら息子も食べられるかも!」と思ったわけではなかった。よほどの定番であれば、そうした予想はできるけれど、それでも予想が外れることはあったし、コース料理ともなれば、全ての料理の詳細が予め分かるわけではないので、ぶっちゃけ毎回ギャンブルである。一番辛かったケースでは、ほぼご飯やバケットといった主食のみしか食べられなかったこともある。そういう場合は、可能な限り、夫と私で息子が食べられなかった分をいただくことにしているので、今回も、私は前もって食事量を制限して備えていた。(息子の食べられるものを増やす目的のためだけに我慢している、というわけではない。将来的に、息子が家族や友人と色んな食事を楽しめるようになることを視野に入れた食育的、文化的な教育機会と捉えている。一方、こうした状況なので、個人的な欲求を満たすために、別途息子のいないタイミングに夫と二人でおいしいものを食べに行くこともある)。

今回も、最初に出てきたアミューズを食べた時点で「しまった...。これはアカンやつや....。」と思い、夜食等でどうリカバーするかを考え始めた。その後に出てきた、にんじんのミルフィーユを食べた時にはさらに「これは、もう絶対アカンやつ...。」と脱力した。"にんじんのミルフィーユ"と聞いて、私はチーズなどの他の素材とにんじんが層構造になった料理を想像したのだけれど、出てきたのは本気でにんじん"だけ"が幾重にも層構造になったものだった。調理法はシンプルなグリルだったので、それゆえにんじんそのものの甘みとハーブの味がしっかりとしていて、これは食べる人を選ぶやつやん!となったのだ。私自身は好き嫌いゼロな上、少し癖のあるハーブの味付けだろうが、くさやだろうがドリアンだろうが何でも来い!の変わった味に惹かれるタイプなので、出てきた料理はむしろ好みだったのだけれど、多分これは同じく好き嫌いのない夫(好みは標準的)であれば「こういう料理はおいしくいただけるけれど、好んで食べはしない」系統だなと思った。恒例である息子への説明も「シンプルににんじん。にんじんの甘みがおいしいよ。」以外に言うことがなく「アカン...。息子の食欲を押すポイントも見つからん....!」となっていたら、いつもは1mm四方くらいのかけらを恐る恐る口にするだけの息子が、いきなりにんじんの塊をバクッと口に入れた。びっくりした。これまでに、息子が初見のものを一気にたくさん口に入れるところなんて見た記憶がない。えぇ!?と驚いている様子を気取られないように観察していたら、あっという間に息子は大量のにんじんを完食したので、再びびっくりした。平静を装って「おいしかった?」と聞いてみると「うん。」と言ったので、三度驚いた。その後も似たような野菜中心のシンプルな料理が何品か出たのだけれど、息子は出された料理の8割程度を「おいしい」と食べる切ることが出来た。かつてこんなことがあっただろうか(いや、ない)。多分、1億円の宝くじが当たってもこんなにびっくりしないし、喜びもしないと思う。あ、いや嘘。1億円当たったら喜びはする。

何が勝因だったのだろうかと、夫と二人で考えた結果、息子の"食べられない理由"は"食材や味付けの複雑さ"で、"食べられる理由"は"材料そのものが見えて味が分かるシンプルさ"なのではないだろうかという結論に至った。息子が食べられるものには、確かにある種の傾向があるのだけれど、それを私たちは味や食材の好みの問題だと考えていた。実際に、ある程度はそれで説明がつくし、そういう理由でも選択をしていると思う。けれど、確かに自宅での食事でも、生鮭を鮭のちゃんちゃん焼きなどにすると箸が進まないけれど、シンプルに塩麹で下味をつけてグリルするとばくばくと食べている。同じように、お肉を野菜炒めにすると食べないけれど、焼肉としてホットプレートで焼くと食べるということも最近発見(!)した。果物もそのままであれば食べるけれど、ジュースやゼリー、アイス等に加工されてしまうと一切食べない。うどんやお蕎麦はシンプルな"かけ"か"ざる"しか食べないし、ラーメンはシンプルな中華めんしか食べない。味がついたお惣菜パンやサンドイッチは一部を除いてほぼ食べず、何もつけないバケットやナンが好き。ピザはマルゲリータ一択で具の乗った部分ではなく、縁のふわふわした生地が好物だ。確かにどれも一番シンプルである。

息子が年少の頃「運動会で楽しかったことを絵に描きましょう」と言われ「うまく描けない」と真っ白な画用紙を前に泣いていたのと通じる部分があるように思った。自分では掴み難い複合的な概念や感覚(食べ物の場合は味、形、匂いの複合体)を受け入れることが難しかったのかもしれない。

 

このロジックが正しいか否かを検証していけば、息子が楽しめる味の幅をもっと増やせるような気がしている。この気持ちの高揚感と「はじめて色々お料理が食べられた!」という息子の笑顔が、私がこの休日で得られた最高のご褒美になったような気がしている。