働く母のすすめ

You are stronger than you think.

優しい気持ち

今年は、ほんの少しだけれど、医療系のボランティアに携わる機会あった。私は実際にボランティア活動をする人をコーディネートする側で簡単なお手伝いをしていただけなのだけれど、それでもそうしてボランティア活動をされている方々と触れ合うことで、色々と心が揺さぶられることも多く、こうした機会を持てたことを本当にありがたく思った。

お世話になったボランティアコーディネーターさんは、看護師としても働かれていて、とにかく言葉の選び方が美しい方だった。どこを切りとっても、角が立たない表現で、淀みなくさらさらと語る。自身の経験を通して、本当によく鍛錬されたのだろうと感じさせる医療人だな…と頭が下がる思いだった。

 

世の中にはたくさんのボランティア活動がある。"ボランティア"といって最初に思いつくものとしては、災害支援や途上国支援などかあるけれど、私はそうしたタイプのボランティア活動に参加したことはない。学生の頃、そうしたボランティア活動に興味を持ったことがあったのだけれど、どういう気持ちでボランティアに参加することが"正しい"のかなど、本当にどうでもよいことにこだわっていて、動くことが出来なかった。今にして思えば、たくさん時間があったにもかかわらず。

あれこれ考えるだけで、動けなかったことを少なからず後悔していて、最近は、支援活動をする団体に定期的に寄附したり、あまり人がやりたがらない無償の活動(時々呟いている学童絡みの色々とか)をボランタリーに引き受けてたりしていたのだけれど、もう少し積極的な関わり方がないかと模索していたところ、偶然やってきたのが今回の医療系ボランティアだった。

 

先日、コーディネートのお手伝いをしていた時、短期間限定でボランティアを経験した若い学生さんたちが「今後もこうした活動に携わって行きたいけれど、学業もあるし、たくさんは時間が取れないかも」というようなことを言った。彼ら/彼女らは、いずれも医療人を目指して勉強中で、確かにたくさんの時間をボランティアに割くのは難しいように思った。するとコーディネーターさんが「ボランティア活動に携わることだけがボランティアではない。日常でも周りに手助けを必要としている方はたくさんいるので、そうした気持ちで街中を歩いていれば、いつでもボランティアはできるのではないか。」というような話をされた。

 

その数日後、通勤中に電車に乗っていたら、年配の女性がとある停車駅で降りるべきか否か迷ってドア付近で戸惑っているご様子だったので、お声掛けした。お話を伺うと、女性が降りたい駅は、別の駅だと思われたので、その旨をお伝えした。いつもならそこでさっとその場を去ることが多いのだけど、その日は、少し不安そうに見えたその女性と一緒に空いている席に座った。女性はポツポツとご自身の話をされた。年を取って、外出するのが億劫になってきたのだけれど、周りからは認知症予防に外出を勧められるので、ここまで来たのだけれど、外出に不慣れでどの駅で降りるべきか分からなくなっていたと言った。私はあまりコミュニケーション能力は高くないのだけれど、私なりに女性の行動をencourage出来るようにと、相槌をうちながらお話を伺った。目的駅に着いた女性と一緒にホームに降りると「このエスカレーターで上がればいいのよね?あとは大丈夫よ。ありがとう。」と笑顔でおっしゃった。お言葉に甘えて、私はまた電車に乗った。

 

いつもは、携帯や資料片手に自分の世界に没頭していた通勤路にも、顔を上げてみたら、コーディネーターさんのいうように手助けを必要としている方がいた。そんなことは十分知っていたはずなのに、いつから私は、こんなにも周りに無関心に生きていたのだろう?と思った。自由になるお金や時間を少しはボランティアに活かせているつもりではあったけれど、何だかとても独り善がりな気がした。それから「ありがとう」という言葉の持つ温かさを尊く思った。

 

先日、ともにコーディネーターのお手伝いをしていた方から連絡があり、来年も継続して、コーディネーターのお手伝いをしないかとお誘いいただいたので、二つ返事で引き受けた。

 

来年もよい年にしたいと思った。