働く母のすすめ

You are stronger than you think.

【成長観察記】5歳の息子の涙と小さな嘘

仕事を終えて帰宅すると、夫と息子がテレビを見ていた。

コートを脱いだり、うがいをしたりしながら、リビングの2人を見るともなく見ていると、息子は急に落ちつきなくウロウロと歩きだし、夫の背中にがしりとしがみついて「あ〜もう。息子ちゃん、これ見たくない。見てるだけで泣けちゃうから。」と言い出した。
小学生くらいの男の子が、とび箱が飛べなくて、学校の先生から「出来ない」呼ばわりされている話だったらしく、息子は、夫の背中の後ろから「でも、あの子、一生懸命、練習してたんだよ!」「本当はもう飛べるようになったんだよ!」とテレビに向かって援護射撃をしていたのだけど、その後も「出来ない」呼ばわりが続いたので、リビングに腰を下ろした私の膝にどすんと座り、胸に顔を埋めて泣きだしてしまった。
 
多感だなあ。息子の様子を見ているとそう感じることが多い。私も小さい頃、こんなことを言っていたのだろうかと記憶を掘り起こそうとしてみるも、最早よく思い出せない。
 
とび箱を飛べない男の子自身を心配しているのか、感情移入しているのか、男の子に起こった出来事と自分に起こっている出来事の区別が出来ていないのか。共感の定義と意味について思いを巡らす。
 
 
ホワイトデーの日。
仕事を終えて帰宅すると、玄関まで迎えにきた息子が「今日、保育園の帰りにお店に行ったけど、ホワイトデーのマシュマロ売り切れだったよ…。昨日、買っておけばよかった…。」と残念そうに言った。「仕方ないよ。母ちゃんはホワイトデーのプレゼント、なくても大丈夫だよ。」前日、初めてホワイトデーの意味を知った時、私に対するお返しを準備していないことに、今にも泣き出しそうになった息子を思い出し、慌ててフォローした。
けれども晩ご飯を食べ終わるやいなや。
「母ちゃん、目隠ししといてよ。」という息子の言葉とともに、冷蔵庫からケーキが運ばれてきた。いひひひひ。といだずらっぽく、そして少し恥ずかしそうに笑う息子。本当に何も買えなかったと信じ込んでいた私は、息子の小さな嘘と彼の気持ちに、涙がこぼれた。
 
誰かが悲しいと、自分も悲しい。
誰かがうれしいと自分もうれしい。
 
自分の感情にまっすぐで、単純明解な息子の世界に、忘れかけていた人としての基本的な理を見いだす、そんな春の夜。