働く母のすすめ

You are stronger than you think.

息子と音楽と自信の話。

息子は、3年程前から、ピアノを習っている。
ピアノを始めた動機は、夫と息子2人で過ごすことが多い土曜日を有意義に過ごしてもらうため、土曜日の朝に習い事をいれよう(そうでもしなければ、土曜日の夜に仕事から帰宅したら、パジャマのまま一歩も外出していない父子を目撃することになる)、習い事するなら、夫も興味を持てるものにしよう(夫は学生時代にずっとバンドをやっていたので、息子と音楽をやりたがっている)、というテキトーかつ策略的なものだった。

親の一存で決めるわけにもと思い、保育園の年中のはじめ頃に体験グループレッスンに行ってみたら、新規な環境が不得意な息子は、1時間近いレッスンの間、微動だにせずに座っていた。"ド"の1音のみを弾くという簡単な操作もやろうとしない。弾かない。歌わない。笑顔もない。無理強いはよくないし、他の習い事を探すか…。と思った帰り道、息子に体験レッスンの感想を聞いてみたら「すっごく楽しかった。息子ちゃん、ピアノ、習いたい。」と言った。内心「どないやねん」と思うほど、息子の行動と感情は乖離していた。4歳児(当時)に「ピアノを習う」ことの意味するところが全て分かるわけではないし、ピアノを習わせようとしている夫や私に少し忖度した疑惑もなくはないけれど、息子がそう言うのであればと、ピアノを習うことに決めた。

けれども、息子は、不安が強く、新規環境が苦手なのと、自分が頭で考えているoutputと身体能力的に出せるoutputがmatchしないと動き出さないタイプなので(これも"上手く出来ない可能性''に対する不安ともいえる)、ピアノを始めてしばらくは、なかなか大変だった。
息子が通っている"音楽教室"のカリキュラム通り、最初の2年間はグループレッスンを受けていたのだけれど、息子は、いつも教室の1番後ろの隅の席に座り、前に出てソルフェージュをするのも、弾いてきた曲を1人ずつ前に出て発表するのも断固拒否した。夫や私が隣に座っている自席でしかやらず、レッスン中に泣いてしまうこともしばしばだった。不安が強い時はいつもそうであるように、息子は「ピアノ、母ちゃんと行きたい…。」と言った。家での練習は渋りながらもそれなりにやっていて、ピアノもそれなりに弾けていて、これはできれば越えてもらいたいメンタリティの問題に思えたので、息子の心の準備が整うのをただひたすら待つことにしたら、1年ほど経過したところで、もじもじしながらも前に出て行けるようになった。さらに1年ほど経った頃には、小さな会場のミニコンサートに出て、お客さんの前で一人でピアノを弾けるようになった。あの不安の強い息子が、一人で人前に立っていることが感動だった。

小学校に入学後、"音楽教室"のカリキュラムに沿って、進級するコースの選択があり、息子は、ピアノだけでなく、アンサンブル、編曲、作曲(つまりは音楽理論)をゴリゴリにやるコースに進級した。各種コンサート、発表会や試験が年に5回前後あるため、舞台慣れもしてきて、今では数百人〜数千人くらい入るホールで人前に立つことを「楽しい」と言うようになった。息子は不安が強く、最初の一歩を踏み出すのにものすごく時間がかかるのだけれど、踏み出し方が分かった後の(よい意味での)自己顕示欲は強い。ピアノだけでなく、もう一つやっている運動系の習い事でも、全く同じことが起こっていて、最初は涙ながらに「(出来ないから)行きたくない」と言っていたのだけれど、今では、レッスン以外に自主練習しに行きたいと言うようになった。以前ブログに書いたけれど、小学校に入学してからの1年間、毎朝、私と一緒に登校班の集合場所(またはその近く)まで登校していたという出来事も同じで、とにかく慣れるまでに時間を要する。これが息子の性質なのだと思う。

客観的に見ても、息子は、同年齢の一般的な子どもよりも不安が強いのだと思う(少なくとも息子の周り(n=100以上はある)で、息子のような子にはなかなか会わない)。以前、とある児童精神科医が「問題(と大人が感じる)行動という、表層に現れたoutputを直接的に指摘したり叱ったりするのではなく、その時、子どもがそうした行動をするに至った内的な理由や原因にアクセスする」ことの大切さを話されているのを聞く機会があった。そのお話自体は、子どもの発達のトラブルに対する対応として話されていたのだけれど、それは発達のトラブルの有無や、子ども大人に関係なく、問題(と感じる)行動をとった人に対して有効な対処法だと思う。
息子とは、こうした1つ1つの実体験を通じて「最初は泣けてきちゃったこともあったけれど、今ではこんなに出来ることが増えたし、楽しいと思える時間も増えたね」という話を、意識的にするようにしている。
こうした経験が、少しでも息子の自信に繋がればと、願いながら。