働く母のすすめ

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【成長観察記】4歳の息子の死生観

先日。
お風呂に入っていたら、息子が突然えぐえぐと号泣し始めた。泣きながら何かを言っていたのでよく聞いてみると「皆死んじゃって息子ちゃんだけになっちゃったらいやなのおぉ〜!これからもみんなで仲良く生きていきたいのおぉ〜!」と言っていた。

保育園にお迎えに行った後からその時まで、特に生死に関する話を見聞きしたり話したりはしなかったし、直前まで何の兆候もなく本当に唐突に感じたので、保育園でなんかあったのかなあとも思い、どうしてそういう風なことを思ったのかとか、何かきっかけがあったのかとかやんわりと聞いてみても「息子ちゃんが、今思いついたの・・・。」と言う。はてさて。

息子が寝た後、帰宅した夫にそんな話をしてみたら「俺も子どもの頃、突然『もし自分だけ生き残ったら』みたいな考え方にハマってすごく不安になったことがあったなあ。」と懐かしそうに笑ったので、そういや私にもそういう時期があったし、そういうものなのかなあと思った。けれども。子ども向け科学雑誌に載っていた「超新星爆発」とか「富士山大噴火」とかその手の記事を読んだり、学校で「日本は地震大国なのである周期で大地震が起こる」という話を聞いたり、同級生が事故で亡くなったり。私が死に対して具体的に恐怖のような不安のようなものを感じるようになったのは、小学校高学年になってからの事だった。そしてその時、私は今回の息子と全く同じように「みんな死んじゃって私だけになったら嫌だ」と突然、夕食の途中に泣き出したのを覚えている。これまでに、夫や私からは積極的に「生」や「死」について息子に伝えた事はない。けれど絵本やテレビや保育園での生活の中で、そういう情報について仕入れる機会はたくさんある。まだ4歳の彼は、何故そんなことを思ったのだろう?どんな風に「生」や「死」を捉えているのだろう?


今日のこと。
保育園の帰り道。いつものように息子と手をつないで、今日楽しかったこと、大好きなおともだちのこと、たくさんのお話をしながら歩いていた。もう少しで家に着くというところで、久しぶりに息子の大好きな近所のノラ猫に会えたこともあり、息子が「おうちで動物を飼いたい」と言い出した。話の流れもあって、私が昔、実家で犬を飼っていた話をしたら「おばあちゃんのおうちに犬はいないけれど、今はどこにいるの?」という話になった。飼っていた犬は、10年以上前に老衰で亡くなったので「たくさんたくさん長生きしておじいちゃんになって死んじゃったんだよ。」とありのままを話したら、息子はその場に突っ立ったまま、顔をぐしゃぐしゃにして鼻水を垂らして大泣きし始めた。「息子ちゃんも、そうやって大きくなったら死んじゃうの?死にたくないよおぅ〜!」と言いながら。「死んだらどうなっちゃうの?赤ちゃんになってまた生まれてくる?」などとドキリとすることを言ったかと思えば「おいしいご飯が食べられなくなったら、息子ちゃんいやだよぅ〜〜!」と言ったり。

不器用な理系母ちゃんは、大泣きする息子を目の前にしても、科学的根拠のない事象をその場凌ぎに話すことを許容できない残念な人間なので、亡くなった後の世界をお花畑で楽しい場所なんだと言うことも、亡くなったらもう一度生まれ変わって会えるんだよと言うことも出来ず。今ここにいる息子が、母ちゃんにとってものすごく大切な存在で、これからもずっと一緒に楽しい毎日を重ねていきたいのだ、ということ繰り返し言葉を変えて伝えることしか思いつかなかった。

「だから、おいしいご飯を一緒に食べようね。」
そう言うと、息子は泣きながらご飯を口いっぱいに頬張り。一生懸命にご飯を食べた後、お風呂も入らず、泣き疲れて眠ってしまった。

静かな寝息を立てて眠る息子の濡れた睫毛を見つめながら。息子に何を伝えられるのかを思う。そんな春の夜。