働く母のすすめ

You are stronger than you think.

願い

息子が小学生の頃、息子の通っていた学校でいじめがあったとニュースになったことがある。

 

マスコミの報道を受け、そのニュースはSNS等でもそれなりに拡散された。ネットニュースの短い文章を読んだだけの第三者が、加害者とされる児童らへの批判や、被害者とされる児童への同情のコメントを書き込んでいた。程なく、ニュースでは伏せられていた学校名も特定され、まとめサイトに晒された。

 

学校からは保護者への説明会の案内があり、私は仕事を早めに切り上げて学校へ向かった。体育館の前方には教育委員会の方や校長や教頭が並んで座っていた。ああ、今から"学校側からの説明"というヤツが始まるのだな。保護者に激しく追及されたり、学校や教育委員会の対応がイマイチで責められたりするヤツやな。そう思っていたのだけれど、実際には全く違っていた。校長の話はとても誠実だった。分かっていること、まだ分かっていないことなど、現時点での事実を淡々と説明した。これから学校として関係者へどう対応していくか、直接関わりのない児童へはどうケアするかなどについても説明があった。校長の話は、内容も言葉選びも話し方も完璧で批判すべき点は見当たらなかった。学校の説明に矛盾やおかしな点はなかったし、保護者からの質問も全く荒れることはなく会は終わった。

外に出ると、学校の正門前にはマスコミが押し寄せていて、出てくる私たち保護者にカメラを向けていた。

 

この出来事に関わる報道は、その後、加熱することはなかった。そして、いじめと報道された出来事は、第三者委員会を設置するなどの事態にも至らずに収束した。色々と伝え聞いたところによると、子ども同士のトラブルを、被害者とされる児童の父親がマスコミに情報提供し、事が大きくなったということのようだった。

子育てをしていると、親は子ども同士のヒヤリとするトラブルを色々と経験する。教室で遊んでいて怪我をした/させられた、個人の所有物を汚した/汚された/壊した/壊された/隠した/隠された、カードゲームなど換金性の高い私物を不用意に交換をした、などなど枚挙にいとまがない。昨今は細かなトラブルでも学校から連絡があり、(子どもの性質にもよるけれど)我が家もしばしば学校から電話をもらうことがあった。そうした経験から、それらをトラブルの範疇でおさめられるか否かは、日々の対応次第なところもあると感じている。学校もそのために些細なことでも親に連絡し話をするし、親もそれを受けて子どもと話をして、お互いにコミュニケーションをはかる。学校も親もしばらくはトラブルに関与した子どもたちの言動をよく観察する。時には菓子折りを買いに走り、頭を下げる。時には子どもとじっくりと話をする。時には笑い話になることもある。子ども自身、時間が経てば忘れてしまうこともあれば、長い間辛い思いをすることもある。辛い出来事については、その後もサポートをすることもある。そうやって毎日を積み重ねている。

突然の報道から始まったこの件が、それ以上大きくならなかったのは、加害者とされた児童らのご家庭、それから学校の毎日の積み重ねが、被害者とされた児童のご家庭のそれよりも確固としたものだったから、ということのようだった。誰かを責めたいわけではない。人間関係に関わらず、トラブルは脆弱性の高いところから生じるのが常だ。その脆弱性は、ある程度個人に起因する場合もあるだろうし、社会で対応する必要がある場合もある。けれど、いずれにせよ、個人を責めて解決する話ではないし、ましてや外野から個人を責められるような簡単な話でもない。息子の学校という比較的近くで起こった事象であっても、私にも分かっていないことはたくさんあると思っている。

 

多くの事象の背景には、短いニュースには決して表れない、これまでの積み重ねが存在している。そのことに、ニュースを書く側も読む側も、SNSを使う人も、そうしたことに配慮できる世の中になってほしいと願っている。

ツールでしかない物に、感情を支配されることなく穏やかな日々を。