働く母のすすめ

You are stronger than you think.

慣れるという感覚の話

結婚して、10数年。仕事で旧姓を使用してきた。
私個人としては、旧姓に「独自性」とか「帰属意識」といった精神的なidentityは求めていないけれど、仕事上、結婚前と結婚後で「同一人物である」という記号的な意味でのidentityを必要としているので、旧姓を使い続けている。

最初のうちは違和感のあった新姓にもだいぶ慣れたけれど、その慣れ方の違いが個人的におもしろかったので、書き留めておこうと思う。

我が家の場合、これまでの婚姻期間のうち、半分くらいは夫婦二人で生活していたのだけれど、その間は新姓を使う機会があまりなかったので、新姓を使うことにいつも違和感があった。この期間中、一番よく新姓を使ったのはクレジットカードのサインだったので、(ほんの10年くらいの間だけれど)今ならもっと新姓を使う機会は少なかっただろうと思う。

息子を妊娠してからは、新姓を使う機会が圧倒的に増えた。頻繁に通う産婦人科でも新姓で呼ばれるし、妊娠出産に伴う書類手続きも全て新姓。息子が生まれた後は、予防接種やら病気やらで病院にお世話になることも増えるし、保育園や学校関連では、なんじゃこりゃ!ってほど手書きの書類を提出するし、息子の持ち物にも名前を書くしで、この期間にかなり新姓に慣れたと思う。

のだけれど、実際には、感覚によって慣れ方が微妙に違っていておもしろい。聴覚はまだ圧倒的に旧姓に慣れていて、病院などでぼーっとしてたり、他ごとに集中していると自分の名前(新姓)が呼ばれているのに気がつけないことがある。仕事で毎日何度も旧姓で呼ばれているので、聴覚への入力としては、そちらの方が圧倒的に回数が多いからだと思う。視覚に関しては、もう少し複雑で、パソコンの画面などで文字として認識する分には、旧姓の方が慣れている。メールの最後に記載されている自分の名前も旧姓の方がしっくりくる。けれど、筆記用具を持って手書きする文字としては、視覚的にも新姓の方が慣れていて、旧姓を手書きするとすごく違和感がある。"慣れ"を感じるためには、まず、同じものを繰り返し使用しているという記憶が形成されることが必要で、その記憶と入力との差分により、 "慣れ"やそれに伴う感情が生じているのだろうと思う(差分が少ない=慣れ→安心する。差分が大きい=違和感→不安になるなど)。またその記憶は、純粋に聴覚や視覚などの感覚器への入力頻度だけではなく、動作(手で書く/キーボードで入力する)や、入力方法(紙の文字として/PC上の文字として)にも依存して形成されているようだ(n=1)。

新姓に変わった当初は、(上記の言葉でいうならば)常に違和感という出力が出ているので、気持ち的にとても落ち着かなかった。慣れるまでの落ち着かなさや、慣れてしまえるか否かは個人差があるので、選択的夫婦別姓を議論する際に、この部分を論点として扱うのは難しいように思う。個人的には、旧姓を使用し続けることで生じる雑務のように、個人差が生じにくい不利益を(某社長のように)論点にするとよいと思っている。



息子のこととか、家のこととか、色々ブログを書こうと思うのだけれど、wetな感じで筆が進まないので、こういうちょっとdryめの話を書くに至る。