働く母のすすめ

You are stronger than you think.

他人のためにリソースを割ける人

世の中には、やらなければならないことや、やりたいことがたくさんある。あれもこれも、やらなければ。それもどれもやりたい。全部やるのは難しいので選択をする。選び取ったと思える場合ばかりでなく、時には諦めたと感じることもある。

 

上司は、恐らく集団社会で生きていくために必要な機能が欠損していて、例えば、部下など自分が目下と認識している人に「ありがとう」と言うことが出来ない。比喩でも冗談でもなく。他人のリソースは、自分のやりたいことをやるために使われて当然と疑いもしないので、私を含め同僚たちは仕事に追われ、他人のためにリソースを割いている場合ではなくなる。誰かに感謝されたくて仕事をやっているわけではないけれど、感謝の気持ちがない職場は殺伐とする。部署内の雑務など、誰かがやる必要があるけれど自分がやらなくてもよい仕事は、やっても評価されないし、メインの仕事の進捗を遅らせるだけなので放置される。同僚たちは、そうした雑務を意図的に無視しているのかもしれないし、気がつかない、気がつけないのかもしれない。この構図、家庭における家事育児の分担に似てるなと思う。私は、部署でも「お母さん」になる。家庭での経験を活かして、自分が全部背負い込まないようにしているけれど、それでもその負担は重い。

 

先日来。息子の通う学童関連のイベントがいくつかあった。そのうちのひとつ、有志企画によるイベントに参加してきた。企画から役割分担、安全性の確保、必要な施設や設備の手配、飲食物などの買い出しなどなど。参加してみて初めて、そこに割かれているリソースの量に驚いた。もちろん、イベントを通じて、保護者自身が楽しめるというメリットもあるのだけれど、50人近い団体を取りまとめて何かをするというのは、メリット以上に負荷が高いと感じた(実際、負荷が高いので"有志"企画になっていて、不参加の人も多い)。毎年、こうした企画を運営してきた有志の方々に、すごいなあ…!とただ感動していたら、イベント中に新たな有志企画が生まれた。どんだけリソース割く気なんだ…と笑えてきた。同時に、そんな集まりに安心感のようなものを感じていた。

 

子どもを育てるようになると、自分の生い立ちを振り返る機会が増える。私はずっと、自分の育った家庭の特徴は、私の父親のeccentricさに起因していると思っていて、それについて振り返ることが多かったのだけれど、このところ、母の性質について考えることが増えた。両親については、ちょくちょくブログにも出てくるのだけど、私の母は地域の子育てボランティアをしていて、赤ちゃん(とそのお母さん)から中学生までを対象にした各種のイベントに関わっている。子育てボランティアはリソースを割いたからといって、見返りがあるわけでもないのだけれど、母から不満はほとんど聞いたことはない。ボランティアで忙しい中で、時々我が家にやってきて家事や育児のサポートをしてくれるけれど、私の家事や育児に口を挟むこともなく、ただ自分に出来ることを提供してくれる。私はもちろん、夫も息子も母の存在に完全に油断している。

 

他人のためにリソースを割くには、余裕が必要なのだと思う。経済的、時間的、人間的な余裕。余裕は人を安心させ、余裕のなさは人を殺伐とさせる。

 

他人の無条件の暖かさに心底癒される私には、今、圧倒的に余裕がないのだと思う。