働く母のすすめ

You are stronger than you think.

お茶を淹れる。その1。

昭和一桁生まれな母の母(私の母方の祖母)は「女子は勉強なんかしなくてもよい」という考えの持ち主で、高校生の頃、それなりに勉強が出来たらしい私の母は、進学を希望していたのだけれど、その他の家庭の事情もあり、大学へは行けなかった。それから30年以上経って、私が大学院に進学した時も、祖母は近所の人に「この子は女だてらにいつまでも勉強なんかして、結婚もしない。」と話していた。謙遜でもなんでもない(そもそも謙遜するほどのことでもない)。祖母にとっては、地元のミスコンで賞を獲った孫娘は誇りだけれど、大学院に進学する孫娘は恥ずかしいという考えだった。

明治末期に生まれた父の母(私の父方の祖母)は、その時代の田舎の女性としては進歩的な考えの人で、私の進学をとてもよく理解してくれた。遊びに行くと「今はどんな研究をしてるの?」と興味を持って話を聞いてくれた。祖母にどう伝えたらよいのか言葉が上手く選べない私を前に「それは、〜をするための研究ってことやな?」と的確に解釈し、言語化してくれた。進歩的なだけでなく、恐らくとても合理的な考え方の持ち主だったのだと思う。修学旅行に行く時に、私が「おばあちゃんにお土産買ってくるね!」と言ったら「おばあちゃんにお土産を選ぶ時間があるんなら、その分、色んな物を見ておいで。おばあちゃんには、それが1番のお土産だから。」と言われたことが印象に残っている。

2人の祖母の考え方は対極的だった。けれども、狭い田舎町で女性として抑圧されてきた環境の中を生きてきたのは恐らく同じだったのだと思う。高等教育を受けることも、社会で働くことも選択肢として提示すらされずにいた時代と地域に生まれ育ち、祖母たちの世界はどんな色だったのだろう。母方の祖母にとっては、それらを受け入れることも、次の世代にも受け継ぐことも、当然のこととして疑問にも思わなかったのだろうし、父方の祖母は、自分の感じた矛盾や不利益を、孫にはできる限り感じさせたくないと思っていたのではないかと想像している。

同様に狭い田舎町で育った私の母と父は、そうしたそれぞれの母親の考え方に反発する形で、または受け継ぐ形で、私たち姉妹には、できる限りの教育環境を与えようと努力したのだと思う。これまでも何度か書いているけれど、私の両親は、(本人たちにその希望はあったけれど)大学には進学させてもらえず、ずっと生まれ育った田舎を拠点とした生活を送っている。特別お金に余裕があるわけでもない状況で、娘2人ともを実家から遠方の理系の大学に進学させ、博士号を取得するまでサポートしてくれた両親を、私は誇りに思っている。

 

けれども、進学に関しては進歩的であった両親も、家庭内での役割分担は平等ではなく、私たち姉妹はそうした環境の中で育ってきた。そうした影響は、自分が思っていたよりも強く、旧来型の役割分担を無自覚のうちに受けいれてしまう自分自身や、他者からそうした役割を求められることに対して感じる矛盾の中で、上手く立ち回ることに日々困難を感じている。

 

続く