働く母のすすめ

You are stronger than you think.

ヒトは記憶で繋がっている。その3

このブログでも何度か触れたことがあるけれど、以前、私の父は事故で頭部外傷を負ったことがある。

頭部外傷のせいなのか、術後せん妄なのか、事故後しばらくすると、父に妄想が出るようになった。妄想の中で父は、警察署にいたり、タイにいたり、鹿児島にいたりした。妄想がひどくなるのと同時に、記憶も曖昧になっているようだった。事故の数年前に亡くなった父の母(私の祖母)は、まだ生きていることになっていたし、父のお見舞いにきた夫は、私の夫ではない誰かになっていた。私の大学院時代の恩師と同じ名字の看護師さんが来ると決まって「あなた、◯◯さんっていうの?お父さんは◯◯教授?娘が大変お世話になったんですよ。実家に帰ったら、お父さんによろしくお伝えくださいね。」と何度も言った。

現状に対する不安、この先の不安でただオロオロするしかない母は、父のイライラをぶつける恰好のターゲットだった。そのため、病院からキーパーソンとしてロックオンされた私は、上司(当時の上司は、非常に理解がある上司だった)と交渉し、休暇を取得して、父の看病に専念していた。父は完全看護体制の三次救急病院に入院していたけれど、付き添いの私は、2日に1度入浴のために帰宅するくらいで、ほとんど家に帰ることができなかった。それくらいに父は、他の誰かの手に負える状態ではなかった。


父は決まって、夕方になると不機嫌になり、夜は、寝静まった病院を徘徊しようとした。自力で歩くことは困難だったので、私は父を乗せた車椅子を押して、一晩中病院を散歩した。朝方になって東の空が明るくなってくると、父は母にイライラをぶつけたことを反省し、森に囲まれた生家での生活を穏やかに話した。そして朝ごはんを食べると、父はようやく少し眠った。看護師さんからは「昼夜逆転しているから、できるだけ昼間に起こしてください」と言われたけれど、あれこれ試した睡眠導入剤はほとんど効かないし、一晩中起きていた父は揺り動かしても起きないし、私も眠い。父は、いつ眠って、いつ起きるかわからず、うっかり寝入ってしまうと、知らない間に目覚めた父が、おぼつかない足取りで病室を出ようとしたりするので、安心して眠ることはできない。介護疲れって、こういうことか、と思った。
ゆっくりと眠ることも、ご飯を食べることもできず、確かに追い込まれている部分もあったけれど、父の状態を観察することに学術的なおもしろさを見出していた私は、こうした状況を楽しんでいる部分もあった。


そんな生活が2週間ちょっと続いた中で、1度だけ、私の感情が大きく揺れたことがあった。それは、父が、私の大学院進学以降の進路について、全く記憶にないとわかった時のことだった。

「ところで、お前、今、何の仕事をしてるんや。」

何気なく発した父の言葉には、不意打ちだったこともあり強烈な破壊力があった。
あれだけ執着していた私の進路のことが、父の記憶から消えてしまうということは予想もしていなかった。そして、こうしたショックを受けている私自身もまた、自分の選択から"父の思い"を完全に取り除くことは出来ていないのだと思った。
けれど、それは必ずしも不健全と排除するべきものでもなく、誰しも少なからず、そうした思いや関係性を支えにして生きている部分もある。記憶とは、そうした思いや関係性を蓄積するための、つまりヒトとヒトとを繋ぐための大切な機能なのだと思った。

記憶を失うということは、何て、残酷なんだと、思った。


その後、父は、精神科に転院して数ヶ月を過ごした。閉鎖病棟に入院していたこともあり、家族の付き添いは不要になったので、私はまた仕事に復帰した。父の回復過程はほとんど見ていないので、どういう経過を辿ったのかはよくわからないけれど、精神科を退院する頃には、父は元の父に戻っていた。過去の記憶の多くを取り戻した代わりに、父は私と過ごした病院での日々の記憶をすっぽりと失っていた。


(終わり...だけど多分また、いつかの話に続く。)