働く母のすすめ

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息子の休息・3

近頃、息子からおともだち同士のトラブルについてよく聞くようになった。

保育園の頃もそうした話を聞くことはあったのだけど、保育士さんが介入して解決済みなことがほとんどだったので、「なるほどね」と相槌をうったり、保育士さんの行為を肯定したり、おともだちの気持ちを一緒に考えてみたり、息子にとって保育園が信頼/安心できる場と認識できるように、息子の"事後報告"に合わせた応対をすればよかった。けれど、最近の息子の話は、未解決なものが増えたという点で、これまでと大きく異なっている。休み時間、登下校時、習い事の行き帰りなど、子どもしかいない時間が増え、おともだち同士のトラブルが起きたとしても、解決を促す大人がその場にいない。結果、息子から「今日はこんなことがあったよ」という報告を受けると同時に、トラブル対応策を求められる機会が増えた。

 

加えて。少なくとも息子の通っていた保育園は、遊び重視の園だったこともあり、先生は子どもたちの個々のよい部分を褒めることがほとんどだったし、いつも側に寄り添って一緒に考えてくれる存在だった。一方、学校では、プリントやテストに◯や×がつけられるし、通知表には◯がついたり、つかなかったりする。それは指導要領に沿ったものだし、目的は理解度の確認であって、他者と比較したり優劣をつけたりするものではないのだけれど、結局のところそうした捉え方は、大人の正論的理屈と言えなくもなくて、子どもから見れば、先生はやっぱり絶対的な評価者になるのではないかと思う。

 

結果、息子の場合、トラブルがあっても、体調が優れなくても「先生には言えない」と言う。

 

トラブルが起きても大人に頼らず、子ども同士で解決できるようになる必要があるし、テストや通知表の◯×に理解度の確認以上の意味を見い出す必要はないのだけれど、今までとは異質な大人との関係性の中で毎日集団生活を送ることが、息子にとって"疲れる"ことは容易に想像できる。先生に非があるわけでは決してないのだけれど。

 

大人の思惑に対して、必要以上にsensitiveな息子は、他の子たちが意識もせず飛び越えてゆける小石に対しても警戒したり、考え込んだりしてしまう。

 

そんなわけで、再び、休息。