働く母のすすめ

You are stronger than you think.

母親であることの怖さ

子どもというのはとても危険な生物だと思う。
衣食住などの物質的なものも愛情などの精神的なものも、これでもかというほど純粋に貪欲に求めて喜怒哀楽を表現するので、何かを与えれば与えるほど、自分がいなければこの子は生きていけない!と思いやすい状況になり、不健康な意味で依存してしまえる存在になり得るという意味において。気を抜くと、いとも簡単にそちら側に引き込まれてしまいそうになるほどのかわいさと魅力を備えているので、私は息子が生まれからずっと、息子と話をする時には出来るだけ息子と同じ目線で物事を見るように心がけながらも、その関係性が依存となってしまわないよう注意を払い続けている。息子目線で接すれば接するほど、信頼関係は深まる一方で、息子の私に対する期待値も上がり、息子と私の境界が不明瞭になりそうという感覚がある。息子側から、依存と信頼の境界線を引くのは難しいので、境界線は大人である私が強く意識するしかない。線引きを誤ることは、いずれ自分の力で生きて行くことになる息子にとって、とても不幸なことだと思う。近頃は、育児と隣り合わせにそんな怖さがあることを実感しながら、息子を見つめている。

 

息子には別の怖さも感じている。ここのところ、学校、学童と個人面談があり、息子と関わりのある大人と話をする機会が続いた。息子は特に問題なく、集団生活を送っているようなのだけれど、周囲の状況や先の見通しに関して、少し子どもらしくないと感じるほどによく読んで行動しているという話をされた。小学生になり、毎日学童で歳上のお兄ちゃんお姉ちゃんと接するようになり、ますます弁が立つようになってきたので、こうした息子の性質に気がつく人が増えてきたのだと思うけれど、私はずっと息子のそうした性質が少し気になっている。先生方は"しっかりしている"と褒めてくださるけれど、それはそんなに簡単な話ではなくて、例えば、息子の不安の強さはそういう性質に起因しているし、息子は本当によく大人を、つまりは"私"の行動もとてもよく見ているということなのだ。

以前、実家の父が我が家に遊びに来ていて、私との会話が少しヒートアップした時も、リビングで甥っ子と遊んでいた息子が、すすっとキッチンで話していた私たちのところに来て「母ちゃん、おしっこ。一緒にトイレに行こう?」と言ったことがあった。もうずっと一人でおトイレに行っているのに。
先日は、おうちに遊びに来た4学年上のおともだちのよくない行動について、おともだちが帰宅した後に、すすっと私のところにやってきて「母ちゃん、おともだちが〜したこと、叱らなかったね?」と言った。感情的になることもなく、こちらをじっと見つめながら淡々と。息子の性質に、初めて少し怖さを感じた。

息子の成長とともに、愛おしさだけでなく、母親であることの怖さに対峙している今日この頃の育児記録。