働く母のすすめ

You are stronger than you think.

偏見眼鏡

私が母親になってから1番驚いたことは、障害に対する偏見というのは、私の(勝手な)想像よりありふれたことなのかもしれないと感じたことだった。

きっかけは、第1子を30代半ばで産んだママたちとの会話。第2子を妊娠したら出生前診断をするか否かという話になり、その場にいたママたちが「もし子どもに障害があったら、障害のない兄姉の結婚に影響するかもしれないから」とごく当たり前のことのように話していたことに驚いた。妊娠中に子どもに障害があるとわかった時にどういう判断をするかに関しては、人それぞれの選択があると思うけれど、生命倫理の問題と結婚差別の問題が並列に取り扱われることに驚いたし、一連の会話の中から、根底には、そのママたち自身が結婚差別をする側になり得る考えを持っているように感じた。

 

「最近考えるていること」を書いたのは、こうした偏見が少しでもなくなればよいと思ったことが背景にある。発達にトラブルを抱えていると思われるお子さんを持つ保護者の方から話を聞いていても、そうした偏見が垣間見えることがしばしばある。「うちの子は、いいところもたくさんある」というけれど、その”個性”は”悪いところ”ではない。自分の気持ちを上手く言語化出来ない子どもに「何でみんなみたいに△△できないの?!」と声を荒げる前に、何故子どもがそうした行動を取ったのか考えてほしい。大人の常識では理解し難くても、そこには必ずその子なりの理由がある。大人の希望通り、みんなと同じでなければならない理由も必要もない。息子が突然、おともだちから石を投げられ、保護者の方から謝罪の電話があった時にも、そうした話をしたのだけれど、上手く伝えることは出来なかった。偏見は、原因を見つめる時に、視界を曇らせたり、理解を歪めてしまったりすることがあり、伝えるということは本当に難しいと思う。

 

 

個人の性質は、膨大な数の指標(例えば、慎重さ、好奇心、持続力など)の組み合わせで表現されるのではないかと思っている。指標はそれぞれ連続数の値を持ち、その結果、個々の持つ性質は多数の軸を持つスペクトラムになる(それぞれの指標の値は、遺伝子や環境といった複数の要因によって規定され得る)。発達や精神的なトラブルは、その中で社会生活を送るのに困難を生じる可能性のある1部の指標(群)を言語化して診断に使用していると捉えれば、疾患かどうかはそれらの指標の大小の差の違い、つまり個人の性質(個性)の違いということになる。疾患の診断基準を読んで部分的に「自分も当てはまる」と感じる人が一定数いるのも、誰でも持ち得る指標を用いて評価しているからだと考えられる。そもそも、生活習慣病のような疾患でも、体内で何が起こっているかは人によって様々で、血糖値や血圧という連続数を基準として選択し、数値の大小で生活するのに支障をきたす可能性が高いかどうかを判断しているという点では同じではないかと思う。(基準にしているのが明確な定量値ではなく、定性的である点が、精神科領域のbehindな部分であり誤解やnegativeな印象を与える原因となり得るのだけど)

 

疾患の理解が進み、少しでも早く多くの人が適切なサポートが受けられる社会になることを祈っている。