働く母のすすめ

You are stronger than you think.

最近考えていること。その1

色々と考えている。

夫の両親は典型的なtoxic parentsだと思う。
夫はこれまでにも時々、その微妙な違和感について友人等に話してきたのだけれど、大抵は「多かれ少なかれ、親ってそういうとこあるよね」というよくある返事をされてきたという。私自身は、初めて夫の両親に会った時から「おお...。これはアカンやつや...。」と気がついたのだけれど、夫と結婚する上で、そのことが大きな問題だとは思わなかった。結婚後は、立場上、舅姑となる人たちのことを悪く言っていると捉えられないように配慮しながら、折にふれて、小出しにそのことを伝えてきた、つもりだった。
伝えるというのはとても難しくて。結果として、私の意図は夫には全く伝わっていなかった。なので、私の蔵書の中からtoxic parents関連の本を渡してみたら、読み終えた夫は「自分の家のことが書いてあった」と言った。今まで誰からも認めてもらえなかった違和感が、出版されている本に記載されるような一般的な出来事だと知り「もしかして親に感謝できない自分がおかしいのかもしれない」という考えから解放されたと言った。
次のステップとして、そうした気持ちを初めて堂々と両親にぶつけてみたのだけれど、それで関係が修復できるのであれば、そもそもそんな違和感は持ち得なかったわけで、結果として得られたのは、夫の姉妹に対するtoxic parentsっぷりは、夫に対するそれよりも格段にひどくて、この”騒動”が起こるまで、自分の置かれている状況に全く気がつかなかった夫の姉妹一家は、今も夫の実家の近くに住み、夫の両親の望む娘として愚痴を聞き続けてきたという辛すぎる事実だった。


夫は、そんな両親に育てられた自分に欠けているものがあるということは理解しているけれど、それが何かということには気がつくことができない。なぜならば、それが当たり前に与えられる環境で育つことができなかったからだ。時折、私が改善した方がよい点として、ごく一般的な常識についての話をすると、自分自身を否定されていると受け取る傾向にあって、感情的に怒るまたは恐ろしく凹む。怒った時には、大抵「納得できない助言は聞かない」という趣旨のことを言うのだけれど、納得する=自分の感覚に合うことを大切にするということではなく、納得する=自分にとって都合のよい意見だけを取り入れるということであれば、看過するわけにはいかない。けれどそのことを伝えるのは、ものすごく難しいと思う。私が思っている常識が、本当に一般的な常識なのかは私自身には証明できないし、夫が気がつけないことがあるのと同様に、私にも気がつけないことがあるはずなのだから。

 

こうした生育歴を持つ夫は、対人関係のストレスに弱い。転職もしたし休職もしたし、精神科との付き合いも長い。正直、しんどい。夫婦は他人なので、私はいつでもこうした環境から離れることが可能であることは理解しているけれど、その選択肢を取ることはあまり考えていない。夫が当事者として、霧の中を懸命に歩いたり、時には座り込んだりしているのと同じように、私もどうしたら夫が霧の外に出られるのか、または霧が晴れるのかを考えている。ずっとずっと。

最初の頃は、霧の中を一緒に歩いてみた。けれど夫婦というのは、お互いの立場が近過ぎるし、利害関係があるので、次第に私の「あっちが出口じゃない?」という意見に疑いの目が向けられるようになった。そうは言うけれど、それは私が夫にどうなってほしいかという観点で選ばれた出口じゃないの?と言われたら、私は夫のことを考えたつもりでいるけれど、まあそう受け止ることも可能だね。と言うしかない。夫婦である以上、どうしたって、一方の選択は他方に影響を及ぼしてしまうのだから。

色々試行錯誤して、最近は、霧が見える丘の上から、ただ夫を観察することにした。私が頑張ることで、一時的に霧を取り除くことや、霧の外へ出る方法を見つけ出すことも出来るかもしれないと思う。けれど、それが如何に正解の手法であっても、夫自身の手と努力でそれを導き出す過程そのものに意味があるのだと思っている。

 

長くなったので、次回に続く。

今回は、叙述的、概念的なことを記録したのみなので、次回は、冒頭に書いた色々考えたことについて、書こうと思う。