働く母のすすめ

You are stronger than you think.

間に合いますように

最後に夫の実家に帰省したのは、いつだったか思い出せない。少なくとも、今年も去年も一昨年も年末年始には帰省していない。

 

何度も同じ状況に陥っては思い悩む夫にtoxic parentsに関する本を渡したら「これ、俺の実家のこと書いてあるやん…。」と言った。もやもやに隠れて不鮮明なまま、今まで名前や理由をつけることができなかった感情が噴き出してきた夫は、夫の両親に対して、多分初めて正々堂々と、子どもとして当然の思いを怒りとしてぶつけた。子どもにぶつけられた怒りを「ごめん」と受け取ることが出来る親であれば、こうはなっていなかったわけで、夫の思いは子どもの頃同様、夫の両親に届かなかった。そして我が家は、夫の実家に帰省をしなくなった。

 

夫が明確に両親に対して、こうした怒りの感情を持てるようになったのはよいことだと思うけれど、私自身は、夫と70代になる夫の両親とがこのままの関係でいてよいとは思っていない。一度だけ夫に「多分、両親に何かあったら後悔すると思うよ」と伝えたことがある。夫はそんなことは絶対にないと強い怒りを込めて言ったけれど、怒りは受け止めてほしいという思いがなければ生じない感情だと思っている。 

 

 

話は変わって。

私は2人姉妹の妹で、大学に進学したくても出来なかった父から「これからの時代は女の子も大学院くらいは出ておけ」と言われて育った。父の影響を受けることなく進路を決めたと思っているけれど、姉も私も博士課程を卒業し、実家から公共交通機関を利用して4-5時間かかる遠方で就職、結婚をした。

私たちに大学院への進学を勧めた父は、その後の当然の結果として、私たちが実家から遠く離れた場所で自分たちの道を歩むことになったのを誇らしく思っているようだった。父がお酒に酔った時などに、親戚にそんなようなことを自慢げに話したりするものだから、母は後で親戚から「女の子に勉強なんかさせるから、娘が2人とも遠方に行って寂しい思いをするのよ。」と嫌味を言われるのだと言っていた。

 

そんなある日、父が事故にあった。頭部を強く打ち、記憶や精神状態に影響を受けた父は、お正月に外泊許可をもらって自宅に一時帰宅すると、焦点の定まりきらない目を集まった家族に向けてこう言った。「さて。問題は、これから誰が俺の面倒を見るか、やな。」

 

数ヶ月後、肉体的にも精神的にも回復した父は、精神科の閉鎖病棟から退院した。その後、程なくして、私は夫の転職により、偶然実家からそれほど遠くない街に引っ越すことになり、姉は離婚して実家に住むことになった。父はもう「誰が自分の面倒を見るか」について話すことはなくなったのだけれど、それは父が心身ともに回復したからなのか、私たち姉妹が偶然にも実家(の近く)に戻ってきたからなのか、今となっては確かめようがない。

 

けれど、私は。あれは父のずっと隠してきた本心なのではないか思っている。全くもって根拠はないのだけれど。

 

 

本当の気持ちなんて、誰にとってもよく分からないものだけれど、時々、そうやって思いがけない形で目の前にあらわれたりすることがある。

そうしてようやく気がついた気持ちが、手遅れでありませんように。と今日もまた。