働く母のすすめ

You are stronger than you think.

不安の海を泳ぐ息子の話

息子は、人見知りが激しい。
0歳の時からその特性は顕著なもので、人だけでなく、基本的に新奇な物は、動物でも場所でも課題であっても、自分からアプローチをするのに時間を要する。端的にいえば、不安が高い子どもなのだと思う。

例えば、0歳の時。息子は、児童館のようなところに遊びに行っても、とりあえず最初の30-40分くらいは私の胸に顔を埋めたまま、微動だにしない子だった。(真相はわからないけれど、その間、聞き耳を立てて、周りの様子を探っていたんじゃないかと推測している。)そして時間の経過とともに少しずつ行動範囲を広げていくのだけれど、私を中心とした半径1m以内から出ることはなく、その範囲の中にある遊びに熱中することがほとんどだった。

自分で歩いて行動範囲を広げられるようになってからも、例えば、親が少し目を離した隙に、道路に飛び出しそうになるとか、ショッピングセンターなどで迷子になったりするということもほとんどなかった。しつけの問題では決してなく、不安の高い息子は、道を歩く時は、私の手を握りたがるし、自分の見える範囲に親がいないという状況にならないように、常に自分と親の位置関係を把握しながら行動しているからだ。

行動だけでなく言葉も同じで。息子は、初対面の人や不慣れな人がいる場所では、ほとんど発語しない。例えば、子どもにきちんと挨拶するように教えることがしつけという考え方があるけれど、息子にとっては「おはよう」の一言を発することがとてもハードルが高い。おともだちや担任の先生など、よく知った相手にであれば大丈夫だけれど、担任ではない先生など、接触頻度の低い相手に挨拶するとなると、途端に難しくなる。近所の人に挨拶をするなんて、彼にとっては超難関にちがいない。

 

【成長観察記】4歳の息子の死生観 - 働く母のすすめ

以前、たくさんコメントをいただいたこのブログも、息子の不安の高さや(どちらかというとnegativeな意味での)感受性の強さについて常日頃から気にかけていたということが背景にあって書いたものだ。

昨今。児童精神医学関連の情報に対する関心が高く、ネットの中だけでなく、保育園や周りの保護者と会話している時でも、そうした話になることがよくある。息子の特性について、全く心配してないといえば嘘になるけれど。What will be will be. なるようにしかならなくて、最終的に息子の特性と付き合うのは息子自身なわけなので、手を貸し過ぎることないように、けれど道に迷い過ぎることないように、彼が不安に思った時には、いつでも、今までもそうしてきたように、その手を繋いで歩いていこうと思っている。

春になって、日中過ごしやすい気候になってきたので、休みの日は、息子とあちこちお出かけをしている。ここ最近は、偶然、動物と触れ合える場所に行くことが続いているのだけれど、以前は、尻込みしてなかなか触れなかった動物たちにも、自分から餌を持って近寄っていったり、おっかなびっくり後ろからではあるもののそっと触れてみたりしていて、興味を持った対象に自分からアプローチできるようになった息子の姿に、成長を感じてたりしている。息子が自分から触ってみたいと希望したモルモット。最初「母ちゃんのお膝に座っているところを触りたい。」と言っていたのだけれど、意を決して自分の膝に乗せた後、私の方へと向けたその顔が、いつもの不安を全く隠しきれていないぎこちない笑顔だったので、息子らしすぎると思わず苦笑した。「なんかあったかいね。」「すごいドキドキいっているよ。」「毛がもしゃもしゃしているね。」矢継ぎ早に出る言葉数の多さからも、不安と挑戦の間で葛藤している彼の緊張感が伝わってきて。相槌を打ちながら、いやもうなんていうか、これが息子よねと得心した。

彼は彼のペースで、彼自身の力で、こうして少しずつ、でも着実に世界を広げていて、親である私に出来ることなんて、決して多くない。そうは言っても、じっとしていられないのが親心だったりもするのだけれど、今はまだ、息子の成長するチカラをそっと見守っていきたいと思う。