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働く母のすすめ

You are stronger than you think.

いつか、晴れる。

夫の母は、典型的な不安が高いタイプの人だと思う。顕著な性質は物を捨てられないことで、恐ろしく使用頻度の低いものや、昔は使っていたけど今では全く使わなくなったもの、いつか使うかもしれないと本人は思っているけれど、まず使うことがないものが、ところ狭しと保管されている。汚部屋化してはいないものの、捨てられないものに占拠されていて、帰省を促す連絡があるにも関わらず、私たちの寝泊まり出来るスペースは、夫の学習机や夫の学生時代の教科書が入った本棚やものが詰め込まれた棚といった長らく使ってない物に囲まれた布団1枚半分のみなので、地震が来たら間違いなく生命の危機にさらされるし、そもそも3人寝られない、といった感じ。

物を捨てられない心の病としては、溜め込み障害(hoarding disorder)というものがあり、精神科で広く使われている分類診断基準の最新版(DSM-V)では、強迫性障害の関連障害として分類されている。こうした心の問題は客観的に評価・診断できる生物学的なマーカーがないため、少し乱暴に言うならば、最終的にはそうした心の問題のために本人または周りがどれだけ困っているかというのが、治療を行うか否かのひとつの分岐点になっている。じゃあ夫の母は、治療が必要な障害と診断がつくかと言われると、まあ難しいと思う。溜め込みは目に見えて分かりやすいけれど、溜め込みが中心の問題かというとそうでもないようにも思う。それに診断がついたところで、60代も半ばを過ぎ、今までそのスタイルが周囲に負の影響を与える可能性があったことについて(多分)思い至ることもなく、何とか安定を保ってきたと思っている人に対して「治療しましょうか」と伝えるのは誰得なんだって話。

10数年前。夫には結婚する前から、夫の家族について色々と話は聞いていた。会ってすぐに、なるほどこれは!と思ったのは、家族が全員、夫のことを「手がつけられない」「扱いに困る」人だと、事あるごとに私に訴えかけてきたということ。しばしば家族以外の第三者からもそう言われるように、夫は一般的に「女性的」と評されるような柔らかい性格をしているにも関わらず。
ここからは、推測の要素が強くなってくるのだけれど、これまでの夫の母の言動から考えると、同じ第一子の男児を育てている母親として思うのは、母親にべったりな男児の言動を発達過程における一過性の性質と捉えることなく、母親自身の自己承認の手段として心の安定のために不可欠なものにしてしまったがゆえに、その後の当然やってくるべき反抗期を、一般的な親離れとして受け止められず、母自身を否定しているとしか考えられなかったのだと思う。そこから派生した母と息子の激しいやり取りを見ていた家族が、夫を扱いづらいと思うのは自然な流れだと思う。本当によくある話なのだけど。

巡り巡って。そんな風に自分を守ることに必死な母親に育てられ、ごく普通の成長過程すら、母親の思う息子像でないという理由で「扱いづらい」などと否定されて育った自己肯定が低い夫の心の不安定さを、結婚以来10数年、ずっと引き受け見守っている。少し前。予想外のルートから、ひた隠しにしていた夫の状態が夫の家族に伝わってしまい、息子の心配よりも「私は悪くない!」という主張や世間体を気にした発言が口をついて出てきたことに、想像通りとはいえ、げんなりしている。そうした親の言動を辛そうに受けとる夫を見るにつれ、今度こそホンマに切るもん切ってやろうか!と思わなくもないのだけれど、嫁の立場でそれをやるのか逡巡している。

唯一の救いは、もうずっと前からそんな夫の状態を知っていてもなお、夫の悪口ひとつ言うことなく、その存在を肯定してくれる私の両親の存在。