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働く母のすすめ

You are stronger than you think.

【成長観察記】5歳の息子と区別と差別

先日、息子と2人で立ち寄ったお店でお会計をしていた時。ちょうど私たちと入れ違いになる形でお店に入って来た人がいた。私は、彼が私たちの前を通り過ぎようとした時にはじめて彼に気がついたのだけれど、ふと視線を落として見てみると、息子はもう少し前から彼のことをずっと見つめていたようだった。その人は、歩行異常を伴う疾患を持っているようで、補助具等は使用していないものの、体を大きく左右に揺らしてバランスを取りながら慎重に歩いていた。息子は、彼がお店の2階に消えて行くまでを、小首を傾げたまま真剣な眼差しで、微動だにせず見入っていた。そして、彼が見えなくなると、今し方、目で見た出来事を頭の中で反芻させるように少しぼうっとした後、体を大きく左右に揺らして歩き始めた。思ったように真似が出来ていないと思ったのか、おや?という顔して自分の体をじっと見つめる息子。文字にすると長いけれども、わずか数秒間の出来事に、息子の「今」の様子が凝縮されているように感じた。恐らく、息子の頭の中には、差別などという言葉や感情があるわけではないのだけれども。私は、親として息子に伝える必要があることについて頭の中でロジックを構成しながら、息子の肩を掴んで彼の動きを遮った。

息子に「なぜ、お兄さんの歩き方を真似したのか。」と質問をすると「変わった歩き方をしていたから、真似してみたかった。」と答えた。近頃、息子は、これまでよりも詳細に個々の特徴を抽出してカテゴライズすることを覚えつつあり、純粋に彼の歩き方が、他の人と異なっているという事象に興味を示したのだと思う。それは、冒頭に書いた息子の行動からも見て取れた。特徴抽出もカテゴライズも、効率的に情報を蓄えておくために有用な手段で、それ自体は非難すべきものではない。大切なのは、カテゴライズした情報をどう捉えるかなのだと思う。他にも息子は、肌の色などの身体的特徴や国籍の違いといったことにも言及するようになってきたのだけれど。まだ世界の歴史も生物の成り立ちも理解し得ない息子には、人は誰でも本人の努力とは無関係に決められた性質やバックグラウンドでカテゴライズされることがあるけれど、それらは優劣がつけられない、つけるべきではないものであるということについて、少しずつ話をし続けている。


複雑な物や事柄を理解するためには、幾つかのアプローチの仕方がある。それらを構成する一つ一つの要素を丁寧に調べてゆくこと、マクロな視点からのアウトプットを切り口にそれらを担うメカニズムを探ってゆくこと、より単純化したモデルを作りそのモデルを解析対象とすること、その物や事柄に起きた「異常」を手掛かりに「正常」とはどういう状態なのかを調べること。それから。その物や事柄が成熟したシステムへと移り変わっていく様子、すなわち単純な状態から複雑化していく過程を調べること。

ヒトの完成型が大人であるとすれば、成長し徐々に複雑化していく息子の様子は、大人である自分自身の行動原理を紐解く上で、とても有用な情報である。

なぜ、いつ、どのように、人は差別という考え方を身につけてしまうのか。差別する心理をどう解釈することができるのか。差別に関してのみならず、物事の理について、息子から学ぶことはとても多い。

息子と一緒に、もう一度、世界を単純化されたメガネで見つめ直してみると、複雑な世の中で、大切にしたいものすべきものを再認識することができる。
子育てで得られる価値観の尊さについて思いを巡らす今日この頃。