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働く母のすすめ

You are stronger than you think.

地域で子育て。地域と子育て。

私の母は、父と結婚するのを機に寿退社をした。以降、父の意向もあって、末っ子である私が小学校の3-4年になるまで、専業主婦をしていた。彼女は、特筆するほど家事が上手いとか家事が好きだとかそういうことはないけれども、全般的に問題ない程度にはやれる人で、私たち子どものために手作りのカバンやオヤツを作ったりする、the日本の専業主婦という生活をしていた。私とは正反対に。

けれど、本当のところ。母は家の中にいることがあまり得意なタイプではなかったのだと思う。外で仕事をする代わりにPTAや地域の活動に積極的に参加していた。私が幼稚園児の時には、幼稚園の母親の会(←今でいう「保護者会」。母親以外が参加する事を想定していない時代と地域性を反映した名称)の代表をしていたし、小学生、中学生の頃にはPTAの役員やら町内会、子ども会の役員など、毎年何か役員をやっていたんじゃないかと思う。当時「子ども1人につき最低1回は役員をやる」というルールがあったのかどうか知らないけれど、少なくとも母に関して言えば、前向きな意味でそんなルールは無関係だった。自分から役員に立候補することはなく、頼まれたら断らない(からまた頼まれる)というタイプで、参加してゴリゴリ意見を言って仕切るということもない調整型な性格の母は、反感を買うことも少なかった。周りから見ると、言われた活動を文句も言わず行う母は、押し付けるには「便利」な存在だったのではないかと思う。けれど、母からこうした活動自体に関する愚痴のようなものは、ほとんど聞いたことはない。

自分自身が母親になるまでは。こうした母の活動のことを、母の趣味(外で人とワイワイするのが好き)でやっていると思っていた。けれど、息子の母になり、手探りながらも地域との関わりを持つようになって初めて、私の母が、そうした活動を通じて彼女なりに抱いていた気持ちというものに思い至るようになった。

私は母には似ず、社会性も低いし、性格も難アリなので、息子が1-2歳の頃までは、あまり地域の人や息子の同級生の保護者と積極的にコミュニケーションを取っていなかった。それはそれで、干渉もされないし、ネットで調べたりすれば情報も得られるし、特に困ることもないと感じていた。多分、そのままのスタンスで生活していても困ることはなかったのではないかと思う。なぜならば。子育てに限ったことではないのだけれど、地域や他者と関わることで得られる”もの”があるとすれば、それは、生活に必要不可欠なものではなく、”あればよりよくなる”付加的な要素だからなのだと思う。

例えば。保育園の中で何かトラブルが起こっていても。周りとの関わりがなければ、保育士さんからしか話を聞くことが出来ないかもしれない。けれど、普段から周りとのコミュニケーションが取れていれば、送迎のタイミングが合ってたまたまそのトラブルを見ていた他の保護者が、その時の状況を気軽に教えてくれたりすることがある。実際、私自身があまり関わりのない人のお子さんのトラブルを見かけたとしても、その保護者の性格や考え方がよくわからないため、伝えていいものかどうか、どうやって伝えるのがよいかなどを悩んでしまって、話さずじまいになったりすることもよくある。保育士さんから話を聞けていれば、最低限の状況は把握できるのだけれど、他の視点からみた付加的な、多面的な情報があることで、子どもがどうしてそういうトラブルに巻き込まれてしまったのか?をよりよく深く理解することができたりもする。
また、よく知らないご近所さんから子どもを注意をされても、どういう意図で指摘してきたかわからずに戸惑うことがあるけれど、普段からコミュニケーションが取れていれば、どういう性格の人がどういう意図でそういう指摘をしてきたかが理解できるので、無駄にイライラしたり萎縮して子どもに不必要な制限をかける必要もなくなるかもしれない。それから、よく言われることだけれど。親の見えないところで、地域のよく知った誰かが子どもを見守って声をかけたり注意してくれることは、子どもの行動範囲が広がるにつれ、やっぱりありがたいことだと実感している。親だって完璧な人間でない以上、息子を複数の大人から叱ってもらえる環境というのは、大切なのだと思う。時には親と違う価値観や、理不尽な叱り方をされることもまた、付加的ではあるけれど子どもにとっては大切な経験だったりもする。

私自身。仕事をして、家事育児をする中で、地域との関わりを深める時間を持つのは、なかなか困難なので、昨今のPTAや地域の役員のあり方を改善していこうという声には共感することも多い。けれど、そうした地域との関わりが存在することのありがたさをきちんと認識した上で、議論していきたいと思っている。

ありきたりの言葉だけれど、子どもは、自分たち保護者だけで育てているわけではないし、育てられるわけでもない。