働く母のすすめ

You are stronger than you think.

新しい家族を作る

元々そういうことについて色々と考えてしまう性分ということもあるけれど。このところ、夫と私それぞれが生まれ育った家庭や、夫と私と息子で構成されている今の家族について、あれやこれやと考えている。


物心ついて、初めて家族を認識した時。そこには既に家族があった。父が仕事に行き、家事や育児は母が行う毎日。家族の中にある価値観やルールも既にそこにあって、それらは他所の家族でも共通しているものなのか、異質なものなのかという疑問すら浮かばないほど、ごくごく自然に、アタリマエに生活の中に溶け込んでいた。そんな中で、私は育った。

反抗期になると、世の中にある色んな価値観の存在に気がついて親に反発したりもしたのだけれど。生まれ育った環境のチカラというのはなかなかに強力で。どんなにもがいても、私にとっての父親像は私の父を、母親像は私の母をベースに作られてしまうことから逃れることは容易ではないと、今でもなおそう感じている。むしろ、逃れようともがけばもがくほど、その鉄条網が生身に食い込んでダメージが大きくなってしまったり、逆に、そういうものだとあるがままを受け止めていたら、自然損耗や経年劣化で切れたり錆びたりして、鉄条網の方からこちらを解放してくれたりもする。私にとって、生まれ育った家庭というのはそういうイメージ。私の生まれ育った家庭が特にnegativeな要素をたくさんもっているという意味ではなく。どんな家族でも、1つや2つや3つや4つ...のnegativeな要素を孕んでいて、子どもはそういう環境の中で、対処法を模索し、人と関わる術を学び、もがきながら成長していくものなんじゃないかと思っている。



話は少し変わって。
結婚することを「新しい家族を作る」と表現することがある。
婚姻届を提出すると、新しい戸籍が作られるし、苗字が変わるとなおさら新しい家族に所属したような気持ちにもなる。けれど私の場合。息子が生まれて、もうすぐ5歳になろうとする今になってようやく。今まさに、家族を作っているんだなあ。と感じ始めていたりする。

夫と二人で過ごしていた数年間は、喧嘩をしながら、お互いに納得のいく最適解を見つけ出していけば問題は(あまり)起こらなかった。そこには夫の意見も私の意見も含まれていたし、そもそも譲歩をすればやっていけないことはないくらいに、お互いの価値観に似ている部分があったから結婚したわけだし、選択の結果は、私たちが自己責任として受け取ればよかった。それは「新しい家族を作る」というより、夫との意見の擦り合わせという作業だった。
息子が生まれてからの数年間も。息子は確かに今までこの世に存在しなかった新しい個体、新しい家族の一員で、夫でも私でもない個として、あばあばあぶあぶと意思表示をしていたのだけれど。彼の意識的な広がりは、ほとんど夫と私の作る世界の中にあり、やはり夫婦での意見の擦り合わせを行っているという感覚だった。


ところが最近。息子は「息子ちゃんは⚪︎⚪︎だと思った。」とか(大人の考えに左右されつつも)自分の意見や感じた気持ちを自分の言葉で表現し、どんどんと彼が彼自身であることを主張し始めている。保育園や習い事のおともだちや先生などとの関係性も、彼自身の表現を発端に形成されつつあり、彼自身の手で彼の世界を広げ始めている。こうして、彼が主体的に外の世界と関わる機会が増えるにつれ、そうした彼の行動の源が、私たち家族にあるのだと、ドキリとさせられることが増えてきた。そんな時、私は、新しい家族を作っているのだと実感する。

小さい頃、何も考えなくてもそこにあった家族は、父と母とが主となり織り成してきたカタチで、その家族が私という存在に影響を与え続けていたように。夫と私が七転八倒しながら、紡ぎ編み出してゆく新しい家族が、息子のこの先の未来に影響を与え続けてゆくという重責感。

けれど、それは思ったほど重くツラいものではない。

新しくこれまでとは異なる家族を生み出し、変えていくことが出来るという可能性がそこにあるということは、悲観することではなく、希望だと思う。

結婚も出産も。自由や時間を奪うだけのものでは決してなく。自分次第で、新しい幸せと希望を生み出すことが出来るものだと信じている。