働く母のすすめ

You are stronger than you think.

不安と承認欲求とトンデモな話

精神医学では、不安というのは、対象のない恐れのことを指す。対人、男性、高所など具体的な対象物がある恐れのことは恐怖と呼ぶ。恐れの対象が明確な場合は、それらを避けたり、徐々に慣れていけるようトレーニングしたりというように対応策を見つけやすいのだけれど。対象が明確でない場合、それらを軽減するための対応策を見つけるのは、なかなかに困難だと思う。

人は、自分の理解の範疇を越える出来事に関しては、不安を感じやすい生き物だと思う。自分や子どもの将来、生体という複雑なシステムのふるまい。それらは、自分の努力だけでは決められない社会情勢や自然現象によって左右されたり、自分のものであるはずなのに、自分の思い通りにはならなかったりもする。知らないもの、わからないもの、コントロールできないものは、時に漠然とした不安を誘発する。

知らないものについてもっと知りたい。わからないものを調べたい。コントロールしたい。学問の根本には、そういった不安の解消したいという欲求があるのかもしれないと思う事がある。そして、学問を、科学を究めていくにつれ。科学というものは、実験や調査によって収集したばらつきをもつデータに対し、統計的手法を用いて仮説の検証を行うという性質上、 得られた結果から何かを断言できるものではないということを知る。生物のふるまいも、それらを構成する粒子の存在ですらも、統計学的にそうであることが一番確からしいことがわかっているに過ぎない。そう思った時、科学に対して、世の中の自然現象に対して、謙虚にならざるを得ないと感じる。

トンデモな話には、科学に対する謙虚さが不足している。乏しい根拠によりストーリーを創作し断言する。その道に不案内な人たちにもわかりやすい容易な言葉や概念を用いて断言することで、知りたいという欲求を満たして、不安を軽減させる。さらには「この話を知らない人は不利益を被る」という不安要素を盛り込むことで、「知っている私は大丈夫」という偽の安心感を与える。

そうして、育児中の(母)親、病気を患っている患者やその家族など、不安を抱えやすい状況にある人は、トンデモな話の格好の餌食となってしまうのだと思う。

けれどもまた。トンデモな話を創作する人自身も不安定なのではないかとも想像している。幼少期から青年期において承認欲求を満たされないままに成長していたり、自分が何者かであると錯覚していたりといったことが根本にある場合、突飛で極端なトンデモ話をするという安易な方法で他者からの注目を集めるという行動を取ることは非常にreasonableだと思う。例えば。医師の家系に生まれ、自身の意思とは無関係に医師になることを求められ、勉強することや医師になることでしかその存在意義を見いだせないといった青年期を送った医師が、トンデモな話をするというようなことがあったとしたら、治療が必要なのはその医師自身、なのかもしれない。