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働く母のすすめ

You are stronger than you think.

あなたがうれしいと、わたしもうれしい。

最近の息子。

お散歩をしていて虫を見つけた時。家でテレビを見ていて虫が映っていた時。
「あー。やまとくん(仮名)に見せてあげたいなー。」と言う。やまとくんは、保育園の同じクラスで虫が大好きな男の子。彼は、ちょっと頑張って捕獲しなければならないカブトムシなどのレア (?)昆虫だけではなく、道端で拾ったダンゴムシやナメクジなどのありふれたものまで飼っている本気の虫好き。息子は、私と二人で歩いている時にはさほど虫に執着している様子は見られないのだけれど、保育園からの帰宅時間がやまとくんと一緒になった日には「ほら!見て!やまとくん!こっちに変なのいるよ!」と目を皿のようにして、道路や壁の隅々をいつでも探している。向かいのホーム、路地裏の窓、こんなところにいるはずもないのに。そうして見つかった虫は、どんなに小さくても既に家にたくさん飼っている虫でも、やまとくんは大喜びで捕まえて、大切そうに家に持って帰る。呆れ顔で見つめつつも、それをきちんと受け止めるやまとくんのお母さんも、すごい。今朝は、そんなやまとくんのためにと、夫に「公園に虫探しに行きたい!」とせがんでいた息子。残念ながら、都会育ちの夫は、虫には一切触れないのだけれど。


そんな息子を微笑ましく見つめつつも、私はここのところずっと、ある疑問を抱き続けている。はてさて。息子自身が本当に好きな物ってなんなのだろう?

おそらく。息子はやまとくんのように虫自体が好きなわけではなく、虫はあくまで大好きなおともだちとの時間や思いを共有するための媒介物なのではないかと思う。戦隊モノにしてもアニメにしても、息子自身が本当にそのもの自身が好きで見たいと思っているというよりは、おともだちと話題を共有するために見たいという要素が強いように感じる。

振り返ってみれば、小さい頃から息子にはそういう傾向があって、2歳になってそれなりに意思疎通ができるようになった頃から、保育園で「赤い葉っぱがほしい」と泣いてぐずっていたおともだちのために、その後しばらくは、どこへ行っても赤い葉っぱを探しては「おともだちにあげるから、母ちゃん、カバンに入れておいて」と収集していたりした。

「あなたがうれしいと、わたしもうれしい。」

それは、優しい、美しい気持ちである一方で。拠り所にし過ぎると危険な思いでもある。

「あなたがうれしいと、わたしがうれしい。」

「あなたがうれしい」と思うであろうその行為は、誰のためにやっているのか。他人の評価尺度でしか自分の存在を肯定できないと、人はおそろしく不安定になる。大人は、様々な過去の経験からそういう思考に囚われて苦しむことが多いのだけれど。

よい意味でも悪い意味でも、空気を読みすぎるきらいのある息子(永遠に志向や試行を思考中。 - 働く母のすすめ)のこうした性質をどう解釈するか。しばらく見守ってみようと思っている今日この頃。