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働く母のすすめ

You are stronger than you think.

自分を新しく揺らすファクターとしてのママ友

先週だったか先々週だったか。週末にスーパーへ買い出しに行ったら、いつものエレベーター前の特設コーナーにしめ縄が飾られているのが目に入り、しばらくその場に立ち尽くしてしまった。 

その週のはじめに、一ヶ月ほど追い込まれていた書類の締め切りがあって、家庭のことは必要最小限しかやっていなかった。そんな中でずっと頭の片隅にあったのは息子の七五三のとこで、そうだその日は既に七五三の当日で、当日になっているのにまだ「今月中ならまだいける。」と一ヶ月先まで週末もびっちりなスケジュールの中にどうやったら七五三のお参りを入れこむかについて考えていた。夫の実家も私の実家も、息子のイベントには全く干渉してこないので自分たちの好きなようにやっていいのだけれど、三歳でも行きそびれたから数え年五歳の今年に三歳と五歳のを兼ねてやったらいいんじゃないかとか、せっかくだからがっつり着物着せてコスプレしたいとか、え?私はいつものびりびりジーンズじゃまずいよね。ああ。美容院にも行ってないし、地元の人間ではない夫婦にとっては、どこの神社に行ったらよいかもわからないしで、頭の中がぐるぐるとしていた。

なのに、しめ縄。絶望的。

私の頭はまだ七五三が終わっていないのに、年賀状も忘年会もクリスマスも大掃除も冬休みのスケジュールも全く視野にも入ってないのに、しめ縄。もう年末がそこまで来ているのに、いつまで七五三のこと考えてるんだよ!って言いながら、しめ縄の縄が私の頭に孫悟空の頭の輪っかみたいに乗っかってぎゅぎゅぎゅっと締め付けてくるような絶望感。締めな輪。

そんな感じで、昔から。仕事をしていると季節の行事とかは蔑ろになってしまっていて、夫婦二人で暮らしていた時代は、年間行事はお互いの誕生日とか結婚記念日とかクリスマスくらいで、それも時々いや結構スルーしてしまうような生活をしていたのだけれど、息子が産まれてからは保育園が行事をしてくれることもあって、我が家に人間の営みらしい季節感がやってくるようになった。絶望感でいっぱいになるまで七五三をどうしようか真剣に考えている自分。なんて人間らしい。とか陶酔してしまえるくらいにすばらしい。


同じように。
最近、関わりを増しているママ友との関係も人間らしくて、私はそれを結構楽しんだりしている。いかに理論的でいられるかを求められる仕事だけを継続していると、だんだんと感情の振れが小さくなってくるし、全ての物事は理屈で割り切れるような気がしてくる。そういう生活は効率的だしぴしりと美しいしそれはそれで好ましいのだけれど、そんな中で暮らしていると、そうかこんなにも感情があらわな会話をするコミュニティっていうのが存在したのかということを思い出させてくれるママ友との会話は、なかなかに新鮮に感じる。内容は、役員をしているママと保育園との関係だったり、他のママ同士の関係だったりいわゆるゲスめの話だったりするのだけれど。

季節の行事もママ友も。
なくても別に困りはしないし、ないならないなりにやっていくだけの話なのだけれど。それらが存在することで、生活の流れが自分の意志とは無関係なファクターに大きく揺さぶられる。それは人によっては煩わしいと思う原因なのかもしれないけれど、私にとってはその揺さぶりによって、自分だけではたどり着けなかったかもしれない新しい場所へ連れて行ってもらえるところがおもしろいと感じている。自分の中に、人間らしい感情の動きが起きることも、楽しい。

現実世界では。毎日単調に揺れている振り子は、時間が経つと一番安定な状態で止まってしまうのだけれど。時々思いもよらない方向と強さのチカラが働くことで、振り子はまたその動きを取り戻す。最初は不規則にぶらんぶらんと振れ始め。そして、それはまた時間が経つと単調な周期で振れ始める。けれどその振れは、以前の振れとは振れる方向も振動が減衰していく有様も、全く異なるものに変わっていたりもするかもしれない。時にはおもり自身やおもりを吊るす紐の長さも変わったりすることがあるかもしれない。そうするとその揺れはまた大きく変化することができる。例え、紐の端っこがどこか一点に堅く固定されていて、紐にしばられることなく大きく飛び出すことができなくとも。(でも固定点から解放された振り子が、その先自由に動き続けるには、大きなエネルギーを継続的に得続けなければならなかったりもする)

人生にそんなおもしろさを見いだせるのは、楽しい。