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働く母のすすめ

You are stronger than you think.

帰る場所、守るもの

毎日必死でせかせか生きてる中で、いつも隣りに4歳児の生きる小さな世界を感じられるのは、なんともシアワセなことだなあと思う。

 
こういうシアワセは、実際に子どもを産むまで想像すらし得なかったことで。そういや「形だけなんだから、してもしなくても変わらないじゃないか。」と最後までゴネていた入籍をした後も、なるほど夫のいう通り、そこには想像だけでは辿り着けなかった新しいシアワセの形があったということを思い出した。
 
息子の世界は、まだとても小さい。登場人物は、私たち家族と保育園の先生とおともだち。それからたまに会う親戚やおともだちのママやパパ。実際には飛行機や新幹線に乗りばびゅーんと遠くへ旅行に行ったりしているのだけれど、認識している舞台は主におうちとその近所とおばあちゃんち、それから保育園くらい。ある日の一番の事件は、保育園のおやつに出てきた蒸しパンに入っていた栗が苦くて食べられなかったことだったりして、その後も栗を見る度に聞いてもないのに「栗は苦いからね‼︎」としつこく怒ってみせたりする。旅に出かけて普段は食べないような変わった料理にたくさん出会ったのに、一番美味しかったのは、ほかほかの白いご飯にのった甘辛い海苔の佃煮と言ったりする。
 
大人から見れば、この広い世界の中のほんの一部でしかない舞台なのだけど、彼はその箱庭がまるで世界のすべてであるかのように精一杯に生きている。細部を見落とさないように。全てにおいて全力で。
 
保育園で遊んだという花いちもんめを息子と2人で歌いながら、まだ私が小さな世界にいた頃、実家の庭で同じ歌をともだちと歌いながら遊んだことを思い出した。集団生活は時に画一的で逃げ場のない窮屈な場所になるけれど、小さな手を繋ぎあえる近い距離で、好き!嫌い!勝ちたい!悔しい!とかストレートな気持ちをぶつけあえる時空間は、今となっては貴重だったとも思う。大人の世界は個々の距離が遠く、お互いに幾重にも重ねられた仮面をかぶっていて、どれが本当のあなたなのかわからない。なのに突如として鋭い刀をばさりと振り下ろし、内臓をぐわりとえぐり去る狂暴さをみせつけられたりする。
 
喪った世界を慈しむ気持ちを、それにより得た世界で戦うための糧にする。
 
花いちもんめの歌を歌いながら、息子に「母ちゃんが小さい頃は、おばあちゃんのおうちに住んでいてね。」という話をしたら「またいつか母ちゃんはおばあちゃんちに帰っちゃうの?」と大粒の涙をポロポロこぼして泣き出した。
 
「おばあちゃんのおうちには帰らないよ。息子ちゃんと父ちゃんのいるこのおうちが、母ちゃんの帰るおうちだからね。」
 
息子に説明するために口にした言葉にどきりとしながら、また私は守るもののために戦うのだと心の帯をつよくかたく締め直した。