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働く母のすすめ

You are stronger than you think.

世の中はグラデーション

テレビでLGBTQについて取り上げている番組を見た。LGBTQはセクシャルマイノリティな人たちを総称する略称で。(LGBT - Wikipedia)私が見たその番組では、ざっくりと肉体的な性別、心の性別、恋愛対象となる相手の性別の3点に着目して話を展開していた。

肉体的な性別は、一部の疾患を除けばわかりやすく決められることがほとんどだし、恋愛対象も過去のパターンから考えれば(途中で目覚めたり変更したりするのかもしれないけれど)比較的理解しやすい気がする。けれど心の性別って難しいなあと思う。例えば私は、お化粧をしたりスカートを履いたりすることが苦手だし、体の関係は愛情を反映しているという考えはあまり理解できないので、標準的な性欲であっても、それを私に求めてくる人とはうまく関係性が続かない。性的な関係性を築く時に最も顕著となるように、他者から強く女性であることや女性らしさを求められるとなんとも居心地が悪い。私は女性である前に人間なのだけれど。という憤りのような悲しみのような複雑な気持ちがわいてくる。仕事をしていても、周りは男性が圧倒的に多いのだけれど、自分はその中に性別とかの概念なしに溶け込んでいると思っているので、そういう時に突然「女性だから」などと言われると、ひゃっとびっくりしてしまったりもする。

こういうことって、ひとつひとつを取り上げてみれば、ジェンダーうんぬんの話とは別に原因があるようにも感じられるし、誰にでもある些細な好き嫌いのようにも感じる。けれどこうした違和感をすいすいと列挙することができたり、普段の自分の行動や思考パターンが男性的だなあとも思うことも多かったりするので、はて。心の性別ってなんぞや。と思うわけなのであります。

だからといって、私は自分がどういうカテゴリーに属しているのかということで悩んでいるわけではない。圧倒的な理由は、私のそういう性質に「せっかくなんだから女性であることを楽しめばいいのにとは思うけどもね。」とかいうアドバイスをするくらいで大筋を認めてくれている夫が存在していることだと思うけれど、よい加減におばさんになったので自分のアイデンティティとかについて思い悩む必要性を感じなくなったというのもある。
それから、性同一性障害精神疾患の範疇に入っているけれど、精神症状のいくつか、というかそもそも大抵の人間の性質は、0or1でカテゴライズできるものではなくて、アナログ的グラデーションを持つものなのだと思っているからというのもある。かなり乱暴な言い方だけど、人を何らかの形でカテゴライズするのは社会のシステム上必要だったり便利だったりするからであって、「男性」とか「○×疾患」などのカテゴリー名は便宜上存在する符号でしかなく、そもそも人が人として存在するために必要なことではないと思う。

自分自身のことはさることながら。今後成長してゆく息子とそれを取り巻く環境について思いを馳せた時に思うのは、そうしたグラデーション的な個性を親として社会の大人の1人として想像力をもって寛容に受け止められる人でありたいなということ。

息子に対して「こうあってほしい」という理想を示すことよりも、彼の個性という色彩がどういうグラデーションとして表現されているのか、一緒に楽しんでいける親でありたい。