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働く母のすすめ

You are stronger than you think.

家族の問題

認知症に効く薬ってある?」

いつもたわいもない話がまとまりのない長文で書かれている母からのメールが、その日は短い一文だけで送信されてきた。

何年かに1度くらい。思い出したかのようにこういうことがあるのだけれど、それは決まって母がキャパオーバーになっているというSOSのサインだった。


祖母(母の母)が認知症かもしれないという話は、少し前から聞いていた。歳が歳なのでそういうこともあるとは思う。
母の短いメールは、認知症そのものの治療方法を求めている文面になっているのだけれど、ことの本質がそこにないことは明白だった。祖母の認知症を巡って歪が生じている家族関係をどうにかしたいというのが、彼女が本当に解決したいことなのだ。

いつもならメールの返事は2-3日後にふらっと打つか忘れてしまうかなのだけれど、早々に電話をして状況を確認した。想像通り、祖母と同居している母の兄夫婦から色々と言われ、母は途方に暮れていた。

「おばあちゃんは普段からもっと感謝の気持ちを示さないと…。」「叔父さんはもう少し家を顧みた方が…。」「叔母さんがもうちょっとうまく立ち回っていれば…。」

たくさんのたらればを並べるのだけれど、もう何十年もそうした関係にフタをしたまま生活してきた家族の内部に、今から外部の人間が踏み込んでどうにかするのは困難だと思っている。今吹き出している問題は今生じた問題ではなく。家族という外壁の中で長年絡みに絡み熱く高いエネルギーを持つまで成長し、ついに外壁の一番弱い部分を突き破って出てきたほんの一部なのだと思う。外部の人間はあくまで限られた時間でしか関わることが出来ず、こんにちはとやってきて、さようならと去っていける。けれど、内部の人間にはそれは毎日続く日常なのだ。今日も明日も明後日も。そしてこの生活の終わりを望むことは、人の死を望むことと限りなく等しい。


私は、通院に便利で現役で前向きに勉強してそうな医師のいる病院を探し、ひとまず通院して今後の成り行きを見守るようにと連絡をした。

治す必要性があるとしたら、それは祖母の認知症ではなく、家族関係なのだと思いながら。


夫婦の関係性を築く時、どちらかが必要以上に我慢や無理をしていたとする。極端な例を出せば、自分のパンツの場所もわからない夫とか、夫を社畜とかATMとか呼んでしまえる妻とか。2人が現役世代として過ごしているうちは比較的問題なく過ごせるかもしれない。けれどその時既に、問題の種となる小さな齟齬が生まれはじめていて。病気や事故、介護などの大きなアクシデントが生じた時にそれは初めて問題として認識されるのだけれど、その時はもう問題の本質である家族の関係性がどうしようもないところまで来ていたりするのだ。

今一度、夫婦の、家族の関係性を見直さなければならない。