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働く母のすすめ

You are stronger than you think.

英会話スキルを向上させるコツを、日本語習得中の息子の育児から学んだ話

息子と会話していると色々と新しい発見があっておもしろい。

子どもの言語習得過程そのものもおもしろいし、それに対応している親が習得する能力について考えるのもまたおもしろい。

子どもの発する言葉や思いは漏らさず聞き取りたいという親の積極的な気持ちに加え。発音が甘く語彙も少ないけれど主張は強いという2歳頃に子どもの主張ポイントが読み取れなかったりした日には、ご機嫌斜めスイッチON!となって以降の予定に支障が出てしまうという受動的な気持ちにも突き動かされ、結果的に親は知らず知らずのうちに幼児日本語(幼児の発する日本語の意。車をブーブー、犬をワンワンと表現する幼児語と区別するために造語しました)に対する対応能力を習得している。


1. 息子の曖昧な発音の日本語を聞き取るために、一語一語の発音と意味をかなり注意を向けて聞いている。それゆえ、私の幼児日本語に対するヒアリング能力が日々向上しているということ。

これにより、息子の発音のみならず、他のお子さんたちの、それぞれクセのある発音も聞き取れるようになっていたりもする。特に2歳頃に日本語を話し始めた頃に顕著だったのだけれど、息子と会う頻度の少ない親戚や自宅滞在時間の短い夫などが、恐ろしく息子の話を聞き取れないことにびっくりしたことがあったのだけれど、幼児日本語のヒヤリングを毎日猛特訓して(させられて)いる母ちゃんをなめたらあかんぜよ。という話なわけであります。


2. 会話に必要なのは語彙力。でもそれは語彙数だけでなく、適切な状況で適切な単語を選び取れるかどうかが重要ということ。 

息子は見よう見まねで恐れを知らずに語彙数を増やして行く。日常的によく使う頻出単語は繰り返し見聞きすることで、比較的早い段階で習得出来る。簡単なところで言うと、父ちゃん、母ちゃん、まんま、などは生活必需単語なので、いの一番に使えるようになる。その他の使用頻度の低い単語は、正確な意味を理解しているわけではなく、その単語が使われていた状況を丸ごと覚えて、トライアンドエラーで挑んでくる。

先日、公園で息子に滑り台しようと誘われ、日陰に座って見物していた私は「えー。」と渋っていたのだけれど、それを見た息子が「母ちゃん、とりあえず、あっちの階段から登るか、こっちの坂から登るか選んでくれない?」と滑り台に登る方法を選択するようにと言ってきた。「とりあえず」という単語を息子から聞いたのは初めてで、滑り台の登り方は階段か坂道かの2択だったし、私は確かに何かに対して躊躇していたし、そういう状況で使うことも普通にあり得るけれど、私が悩んでいたのは滑り台で遊ぶか遊ばないかであって、そういう意味では使い方は間違っている。恐らく彼は学んだばかりの「とりあえずAかBか選んで」というフレーズを実戦で使用したかったのだと推察されるけれど、少し上にも書いたように新しい語彙はこうして、過去の経験からその単語が使われている状況をざっくりと把握し、トライアンドエラーを繰り返して、使用するのに適切な状況という情報付きで学んでいくのだと思う。



3. 会話では言葉のやり取りをしているのだけれど、自分が想像しているよりもずっと大きな割合で、その背景で想像や推察をしていて、それらによってコミュニケーションが成立しているということ。

息子と話していると、まだまだ言葉がたらないので、いつも「この子は何を言わんとしているのか?」を過去のパターンやこれまで経験したことをどばばばばーっと思い返しながら推察していることに気がつく。1.にも書いたように親戚や夫は、息子との共有経験が(私よりも)少ないので、発する言葉が少なければ少ないほど何が言いたいのかわからないことが多い。(4歳ともなると言葉数も増えて、そういうこともかなり減ってくるけれど)

先日の息子との会話。どういう経緯でそんな話になるんだ!ということはさておき、息子が「父ちゃんが車でオナラしたら車が臭くなるよねー。」というようなことを言ったので以下のようなやりとりをした。
私「そしたら車のシートは洗えないし・・・。ファブリーズしないとなあ。」
息「それ、知ってる!風のところにするやつでしょ?」
私「え?なに?」(そもそもファブリーズが何かわかってないと思っている)
息「そしたら、水色の風が出るんだよね!」
私「そうなの?」(何か別のものと混同しているな?と正解を脳内検索中)
息「で、最後にお歌を歌うの。」
私「どんなお歌?」(もはや、創作物語じゃないかと疑いはじめる)
息「ふぅまにはくるまのファブリーズ♪」←言葉は怪しいけどリズムは合ってる
私「車用のファブリーズのCMの話かっ!」(一緒にテレビを見ていた時に流れたCMの話だったことに気がつく。)

この会話は、「風のところ」が息子が最近お気に入りな車のエアコンの送風口であることを知っていて、ファブリーズのCMを見ていないとなんのこっちゃの話になるわけだけど、()に書いた通り私の脳内は、常に会話しながらも想像と推察でフル稼働している。さらに子どもはこういう少ない言葉で最大限理解・共有してくれる人をしっかりと見分けていて、目を見て話を聞いて的確なお返事をしてくれる人=好きとなったりするので、侮れない。


さてはて。話は変わって。私は仕事復帰して息子を自宅近所の保育園に預けるようになってから、週一回、自己研鑽デーを作っている。その日は、育児を夫に任せて残業したり、英会話教室に通ったりしていて、そんなこんなで英会話教室にはかれこれ2年近く通っていることになる。以前よりはスキルが上がって、ぼちぼち英会話教室の勉強で向上できる能力は飽和しつつあると感じてきているのだけれど、その他の能力は全く足りていないので、上記の話は、そうした私が今、今後の自分の英会話スキルアップに必要かつ重要と感じているエッセンスだったりもする。

そして図らずも、上記の話はまた、私が「子どもの早期英語教育は同居者の誰かがかなりnaturalに英語を使える環境でない限りは、費用対効果、労力対効果が低いのでやらない」と考えている理由だったりもする。


育児って、育児だけに留まらず、世の中の法則をシンプルに具現化する助けとなるという点でもおもしろい。