働く母のすすめ

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働く母のすすめ的学問のすすめ-「なぜ勉強しなければいけないのか?」

子どもの頃。大人はどうしてあんなに偉そうなのか。私の気持ちなんか何もわかっていないクセに。と思っていた。

大人は確かに子どもよりも経験豊富だけれども、何でもかんでも経験して知っているわけではないし万能ではない。自分が大人になってみて、自分を含めてぐるりと周りを見回してみると、全てにおいて「理想的」なふるまいができる人間なんて皆無だと思う。そもそもどういうふるまいが「理想的」かという判断基準さえ、個々によって違うわけなので、「理想的」な人というのが、自分にとって「理想的」なふるまいを行う人という意味だとしたら、そんな人は世の中に存在しない。そういう意味においては、親だって子どもの理想通りの人間であるはずがないし、子どもも親の理想通りの人間にはならない。
誰かが自分の理想通りの人間である可能性を期待しているのだとしたら、そんな妄想は、早々にマリアナ海溝にでも沈めた方がいい。もし12歳の私に会えるとしたら、そんなことを伝えたいと思う。


家族という近くて濃くて閉じられた関係性の中では、大人である親の価値観はどうしたって子どもに大きな影響を与えてしまう。どんなに親が「〜な親になろう」「〜な親にはなりたくない」と意識したとしても、物事は表裏一体。例えばこまめに掃除ができる人は、ウルトラスペシャルにずぼらな私から見れば理想的に感じるけれど、部屋がきれい過ぎることに落ち着かなさを感じる人もいるわけで、絶対的に理想的な親の行動なんてものは存在しないし、負の影響を子どもに与えずに一緒に生活し続けることは不可能だと思う。また、どんなに裕福だろうと貧乏だろうと、そこに人間がいる限り、個々の家庭特有の問題は必ず存在していて、それゆえ、私自身もそうだったけれど、子どもは成長過程(10代から20代くらい)で、どうしたって親に対して不満を感じるもので、そこから脱却できるまでの間(20代から30代くらい)は葛藤の中で悶々としているものなんだと思う。
すなわち。親との関係性に悩んだり、時には憎んだり激しい感情を抱いたりするのは、家族という単位の中で成長して行く過程で、必然的に起こりうるノーマルな反応なわけなので、そのことを異常なのではないかとか悲観したりする必要はない。そして嵐はいずれ去る。そんな時代もあったねといつか話せる日がくるのだ。もし20±5歳くらいの私のズボンのポケットに手紙を忍ばせることができるのなら、そんなことを書いておこうと思う。

それから。虐待された親は、また虐待を繰り返す。といった負の連鎖が起きることがある。虐待までいかずとも、親に対する不満があったとしたら、少し親に思いを馳せてみるのもよいかもしれない。親もそうしたくてそうしているわけではなくて、多分、親自身もどうしていいかわからないのだと思う。彼ら自身も、問題に直面した時、どうしていいのかを親をはじめとした周りの大人から学ぶ機会がなかったんじゃないかと思う。彼らも同じように、親や周りの大人に対して葛藤を抱いていた小さな子どもだった時があって、膝を抱えて、ただ空を見上げていた時間があったのかもしれない。
誰も悪くない。誰も加害者ではない。ただみんな、どうしたらいいかわからなかったし、学ぶ機会がなかっただけなのだ。

ならば僕は学べばいい。僕がどうしたらいいのか。僕が何を求めているのか。
声に出して伝えればいい。私はどうしたいのか。私は何を求めているのか。

一歩踏み出せば、学ぶ機会はたくさんある。ここは恵まれた国、日本なのだから。

世界には、貧困ゆえに教育を受ける機会さえ与えられない国がある。
キミはどうしてその小さくて狭い世界に留まったまま「なぜ勉強をしなければいけないの?」と立ち止まっているんだい?キミ次第で、世界はいくらでも広げられるのに。

世界が抱える教育問題|世界寺子屋運動|公益社団法人日本ユネスコ協会連盟