読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

働く母のすすめ

You are stronger than you think.

正しくあり続けるということ

私の父は、かなり扱いづらい人でした。

 
子どもの頃は。授業中に私語が多い上に、先に設問の答えを言ってしまったりもして授業の妨げになるから「ちょっと外で走ってこい!」と先生に言われ、ひたすら校庭を走っているような子だったらしい。
 
社会人になってからも。会社での対人ストレスをうまく消化できず、帰宅後はお酒を飲んで、時に暴れた。母は逆鱗に触れぬようひたすら耐え忍んでいたし、姉は早々に自室に避難した。幼かった私にはまだ父の抱えるストレスについて理解することは出来ず、殴られても蹴られても、ただそれは正しくないんだと正論を盾に、父に歯向かい続けた。
 
今にして思えば。父のストレスは、正しくあり続けようとした父が、それだけでは生きられない会社という組織の中で、もがき苦しんでいた結果だったんじゃないかと想像できたりもする。
 
親戚からは、父と私は顔も性格もそっくりだと言われている。
 
父自身も真っ向から向かってくる娘に、自分を見ていたのかもしれない。父は幼かった私にいつもこう言っていた。「お前みたいなヤツは社会に出ても生きていかれへんわ!」
 
父の言葉の通り、私は1つ目の就職先で、正しくあり続けるということに関して、大きな壁にぶち当たった。

1つめの就職先の上司は、東京の私立中高一貫男子進学校から鉄門に入ったお受験的な意味での勝ち組だった。彼は、受験で要求されてきたであろう知識や問題処理能力で評価するならば、恐ろしく優秀な人だった。けれど、仕事において一番大切なはずの過程には興味を全く示すことはなく、ただひたすら結果のみを要求した。対外的な評価に使用されるのは結果なのだけれど、過程を正しく知らなければ結果は正しく理解できない。物事の結果はあくまで過程の正しさに担保されていて、過程はまたいろんな曖昧さも含み得る。そうした状況を総合的に理解し、どの程度確からしいのかまで含めて結果として報告すべきだと思っている。これが私の思い信じる正しさなのだけれど、こうした正しさを、この上司とは共有することができなかった。
 
そして私は、にこりと笑って流す術を身につけた。自分にとって大切でない部分は他人(上司)に迎合するという戦略をとることにした。守りたい思いを守り、自分が正しくあり続けるために。父にもこんな狡猾さがあれば、苦しまずにすんだのに。と思いながら。


正しさを主張することで、これまで、かなり生きづらい人生を歩んできたと思う。けれど大人になってその正しさは間違っていなかったと自信を持って言える。正しくあることは時に人に疎まれ、他人から傷つけられることがある。けれど、正しくない行いで保身することは人の命をも奪い得る。Be honest.

激しく憤り、悲しい出来事があったので、このことを記しておきたいと思う。