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働く母のすすめ

You are stronger than you think.

私が「夫」を選んだ理由

共働き家庭の女性とか「働く母のすすめ」とかいうタイトルでブログを書いている人が、自分の配偶者のことを「主人」とは呼びません。とか言ったりしても、フェミニズムか!とか言われるだけなのかもしれないけれど、私は配偶者のことを「主人」とは呼ばない。

配偶者のことを主人と呼ぶのが生理的に受け付けない問題 - カリントボンボン


そもそも辞書にも記載されているように「主人」という単語は、主従関係における「主」の方であるという意味があるのと同時に、夫の呼び名としても使われていて。そこには明確な主従関係がなかったとしても、家の中の「長」という意味はもっているように思う。会社で言うところの「部長」「課長」みたいな上の立場の人を指す肩書きのように。


個々の家庭内のパワーバランスはさておき。対外的に自分の関係者について他者に話す時は、遜った表現を使うのが社会人としてのマナーだと思っているので、そういう意味で「主人」という言葉は選ばない。「主人」は「部長」等の役職と同じような感覚で、対外的な表現として使っても間違いではないとは思うけれど、上下関係を含まない「夫」という単語を使った方が、日本語としてはより美しいと思う。なので、私の場合は、日常的には「夫」を使い、ものすごく目上の人に対しては、夫の名字の呼び捨てを使うようにしている。「いつも山田がお世話になっております。」といった具合に。

これが私が「夫」という呼び名を選んだ理由です。(そういう意味な。)

言葉というのは、他者とコミュニケーションをとるためのツールなので。自分がどう思うかを適切に伝えるためだけでなく、受け取った相手がどう思うかをきちんと想像してから言葉を選ぶということは、人間関係を円滑にする上でとても大切なことだと思う。つまり、配偶者の呼び方について、腹黒い母ちゃん的にいうならば、「夫」と呼ぶことで違和感を感じる人が少なくなるならば、初めからそういう言葉のチョイスをしておくということが、パーソナルブランディング的には賢明だと思ったりする。


これと似たような似てないような話でジェンダーの関わらないものとして「すみません」と「ありがとう」の使い方、というのがあるように思う。

例えば、お店に入る時に前を歩いていた見知らぬ人が、ドアを開けたまま押さえていてくれたら「すみません。」ということもできるし「ありがとう。」ということも出来る。「すみません。」は相手のお手を煩わせて「すみません」という意味から来ているし、「ありがとう。」は、ドアを開けていただいて「ありがとう」という意味から来ていると思う。
「すみません」は、辞書的には謝罪の意味があるのと同時に感謝の意味もあるけれど、感謝の意味を表す言葉としては「ありがとう」の方が直接的で伝わりやすい。なので私は、こういう場合「すみません。ありがとうございます。」または「ありがとうございます。」というように「ありがとう」を使うことにしている。
見知らぬ人とのコミュニケーションだけでなく、仕事等で同僚に何かをやってもらった時(特に相手が気を配ってやってくれた時など)などは、「すみません」よりも「ありがとう」と言う言葉を意図的に使うことで、私が相手の行為に対して感謝している、喜んでいるということをよりクリアに強調して伝えることができ、お互いに気持ちよく仕事が出来ると思う。

とても細かい言葉のニュアンスの違いではあるけれど、「言霊」という言葉があるように、言葉というのは知らず知らずのうちに、自分の思考や行動に影響を与えるものだったりもする。また、ちょっとしたことだけど、言葉の選び方ひとつで、相手に与える印象はがらりと変わるし、流動的なコミュニケーションの中で、どれだけ適切な言葉を選べるかというのは、普段の積み重ねあってのことゆえに、その人の思想が垣間見えたりもすると思ったりする。

そんなわけで。自分的にしっくりくる言葉のチョイスの練習のためにもブログを書いているところもなきにしもあらずかもしれないなあと思ったり思わなかったりする金曜の夕暮れ。