働く母のすすめ

You are stronger than you think.

小さな奇跡を積み重ねた軌跡を成長と呼ぶ。

私が一番最初に息子の行動パターンに対して、おや?と思ったのは、息子が0歳の頃だった。

育休明けが近づき、保育園に預ける前に少しでも集団に慣れさせようと、息子を連れてぼちぼちと出かけていたのだけれど、私の思惑を知ってか知らでか、息子は私から離れようとはしなかった。大抵は下記のような感じで。

例えば、0歳の時。息子は、児童館のようなところに遊びに行っても、とりあえず最初の30-40分くらいは私の胸に顔を埋めたまま、微動だにしない子だった。(真相はわからないけれど、その間、聞き耳を立てて、周りの様子を探っていたんじゃないかと推測している。)そして時間の経過とともに少しずつ行動範囲を広げていくのだけれど、私を中心とした半径1m以内から出ることはなく、その範囲の中にある遊びに熱中することがほとんどだった。不安の海を泳ぐ息子の話 - 働く母のすすめ

 

1-2歳の頃は、保育園の登園が難関だった。

保育園自体を楽しんでいたということは、息子の言動や保育士さんからの話から伝わってきていたし、「行きたくない」という言葉も聞いたことはなかった。ただ、朝の登園時に、私から離れることが難しかった。息子のお気に入りの保育士さんがいる日は、比較的スムーズに離れられるのだけれど、そうでない日は...。幸い、出勤時間ががっちり決まっている仕事でもないので、色々試行錯誤し、息子に付き合ってみたのだけれど、結局のところ、一番効果的だったのは「夫と登園すること」だった。難しかったのは、アウェイ(保育園)な場所で、私から離れることで、ホーム(文字通り自宅)ならば、私から離れることに対するハードルが下がるようだった。育児の困り事の解決策は、こうしていつも意外なところに落ちている。あと、息子が夫と離れることに対して感じているハードルの低さについては、そっとしておいてほしい。

 

3歳といえば、3歳児健診。

息子は、基本的におしゃべりだ。小3になった今でも常に何かしら喋っている。大丈夫か。そんなおしゃべりな息子と3歳児健診に行った時の話。息子は、自分の健診の前まで、いつも通りご機嫌にしゃべっていた。他のお子さんの健診の邪魔にならないよう、小声で話そうねという注意が必要なほど、息子は快調にしゃべりたおしていた。けれど、いざ、自分の健診の番になった途端、息子はピタリと話すのをやめてしまった。保健師さんに「どっちが大きいかな?」などと聞かれても、無言で指を差す。「何歳かな?」と聞かれれば、無言で3本指を立てた手をぐいっと差し出す。ぬぬ!という表情の保健師さんが、少し質問の種類を変え「今日は、誰とここに来たのかな?」と聞くと、無言でくるりと振り返り、私を指差す。か...頑な過ぎやしないかい...と息子の様子を見守っていると、さらに考えた保健師さんが「えーっと、じゃあ、今日はお父さんはどうしてるのかな?」と聞いた。ジェスチャーでは答えられない質問に無言で固まっていた息子は、しばらくすると観念した様子で下を向き、蚊の鳴くような声で「...おしごと。」と言った。

 

この頃の私は、息子のことを「人見知りがちょっと激しめな子ども」と認識していたように思う。

 

4歳になり息子は、死を想像して泣き出すようになった。

息子が突然えぐえぐと号泣し始めた。泣きながら何かを言っていたのでよく聞いてみると「皆死んじゃって息子ちゃんだけになっちゃったらいやなのおぉ〜!これからもみんなで仲良く生きていきたいのおぉ〜!」と言っていた。 【成長観察記】4歳の息子の死生観 - 働く母のすすめ

この時期、語彙の増えてきた息子自身の言葉からも、息子は単純に「人見知り」なだけではなく、その背景にはどうやら「不安」があるようだということが見えてきた。保育園では年少クラスに進級し、具体的な目的を持って絵を描いたり、体を動かしたりする新しい取り組みが増えてきたのだけれど、一部の取り組みに対して上手く動き出せないことがあるという話を保育士さんから聞くようになった。例えば、絵を描く時も、対象となる物を見ながら描くことはできるのだけれど、「夏休みに楽しかったこと」「運動会のこと」などという(ある種)漠然としたお題に対して、何かを描くということが苦手だった。真っ白なままの紙を目の前に、泣き出してしまうこともあり、保育士さんには理由を話さないというので、家で話を聞くと「どうやって描いたらいいか分からない」「上手く描けないと思うから描かない」と言った。理路整然と理由を説明する様子と、絵が描けないという行動に、大きな乖離があるように感じた。

 

5歳ではじめたピアノのレッスンも、なかなか手強かった。

息子が通っている"音楽教室"のカリキュラム通り、最初の2年間はグループレッスンを受けていたのだけれど、息子は、いつも教室の1番後ろの隅の席に座り、前に出てソルフェージュをするのも、弾いてきた曲を1人ずつ前に出て発表するのも断固拒否した。夫や私が隣に座っている自席でしかやらず、レッスン中に泣いてしまうこともしばしばだった。不安が強い時はいつもそうであるように、息子は「ピアノ、母ちゃんと行きたい…。」と言った。 息子と音楽と自信の話。 - 働く母のすすめ

引用したブログにも書いた通り、現在は、数百人から数千人入るホールで演奏することも出来る。「緊張する」と言ったりもするけれど、自信に繋がっている様子も見受けられる。(多分、夫も)私も、息子のこうした「不安」に関する性質をそれほどnegativeに捉えてはおらず、そうした性質を抱えながら生きていく息子を、どうサポートをするべきかについて考えている。ピアノに関しては、練習がむちゃくちゃハードだけれど、その一つ一つの積み重ねと成功体験が息子の自信になればよいなと思っている。

 

6歳。最早ホームとなっていた保育園を卒園し、小学校への入学が近づいてきた。

就学時検診で、久しぶりに息子の不安が炸裂した。保育園の6年間で、おともだちや大人との信頼関係を構築した息子を頼もしく感じることも増え、特に問題なく検診を終えられるかもしれない。と思っていたのだけれど、簡単な身体測定などのため、高学年のお兄ちゃんとペアになって校内を回ることがNGだった。私の手をぎゅうっと握りしめたまま離そうとせず、溜めた涙が頬に伝わらないようにぐっと堪える息子。どうしていいか分からずアタフタする高学年男子。別室に移動して待機する保護者の流れから外れ、息子と一緒に検診を受けた。

 

7歳になり、いよいよ小学校に入学した。

息子が初めて学校を休んだ理由は「学校に行きたくない」から。息子の不安の強い性格を考えたら、遅かれ早かれ来るだろうとは思っていたけれど(漠然と)予想していたより早かったなあという印象。 息子の休息 - 働く母のすすめ

上記のブログにも書いたけれど、結局1年生の間は、集団登校の集合場所まで一人で行くことはできなかったし、3学期になって「学校に行きたくない」ということが、2度ほどあった。夫のメンタルの調子も芳しくなく、私の肩の荷が猛烈に重かった時期だ。自分自身が他人と比較されることを猛烈に嫌う性格なこともあり、息子を誰かと比較することはない。ならばとことん付き合ってやるぜ!と腹をくくっていた。

 

のだけれど。
2年生になると息子は、突如、家の玄関から一人で登校できるようになった。

始業式の前日「ねえ。母ちゃん、明日から1人で学校に行ってみる。」と息子が言った。

1年生の1学期は、毎朝登校班の集合場所まで一緒に行き、2学期からは息子の申告に合わせて、少しずつ一人で行く距離を長くしていったのだけれど、玄関から1人で出るのはハードルが高かったようで、結局1年生のうちは、途中まで一緒に行く形になっていた。

「あ。そうなの?頑張ってね。」
どっちでも構わないのよ風を装ってみたけれど、ついに自らそう思える日が来たのかと感慨深かった。始業式の朝になったら「あ、やっぱり今日はまだ一緒に行こう?」と誘われたので一緒に家を出たのだけれど、それから数日経った朝、突然「1人で行ってみる。」と決意を込めたように言ったので、初めて息子の「いってきます」を玄関で聞き、その背中を見送った。 新学期に、心あらたに。 - 働く母のすすめ

 

一年間、息子はどれだけ迷ったのだろう?集合場所にいるおともだちからも「どうして毎朝、お母さんも来てるの?」と聞かれた。どうしてなのか、息子自身も分からなかったのかもしれない。人と同じペースで成長しているかどうかなんて、どうでもいい。迷って、考えて、躊躇して、自ら「一人で行く」と決断した息子の成長を尊いと思った。

それから、さらに1年が経ち、息子は小学3年生になった。
今でも相変わらず、不安が強いなー!と思うエピソード満載のまま成長を続けている。道路で白線からはみ出たら「車に轢かれちゃう!」と叱られるし、アスレチックなどは「母ちゃんは危ないし、死んじゃったらダメだから、父ちゃんと行く!」と禁止されている(夫の扱いの悪さについては、そっとしておいてほしい(2回目))。私が出張に行けば、家でポロポロと泣いているし、帰宅すれば、全力で玄関まで走ってきてぎゅうっと抱きついて離れない。このままで大丈夫か...と心配になることもしばしばだけれど、近所であれば、一人でおともだちとの待ち合わせ場所に向かえるようになったし、おともだちの前では、私と手を繋ぐことを「恥ずかしい」と感じるようにもなった。

迷いながら、決断しながら。
少しずつ、少しずつ、私から手を離していく息子を、これからもずっと見守っていきたいと思っている。