働く母のすすめ

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続・教育費って、何だ。

忘れた頃に、こちらの続きの話。

教育費って、何だ。 - 働く母のすすめ


上記のブログには、文科省が発表した統計データ(の一部)とデータの解釈を記載した。文科省的には、淡々と各項目やパラメータごとにデータをまとめて提示しただけなのかもしれないけれど、最終的には下記のような総学習費としてまとめたデータだけが切り出されて「全部公立に行った場合は◯◯円、全部私立に行った場合は××円!」みたいな話として、使われているのをよく見かける。

総学習費というのは、学校教育費や学校給食費といった就学に必要なお金(一部払わなくてもよいものも含む)と、塾や習い事などにかかる学校外活動費の合計。なので、下記のグラフは、「教育費として、平均的にこれくらい使ってますよ」という指標であって、「子どもに教育を受けさせるために必要な金額」ではない。

 

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さらに、データをきちんと見てみると(前回のブログには示していないけれど)住んでいる街の人口規模によっても、学校外活動費の支出は最大で2倍程度違ってくるし、もちろん世帯収入によっても異なってくることがわかる。
 
というかそもそも。塾や習い事などに関する費用である学校外活動費と、学校教育費や学校給食費などの就学に最低限必要な費用を比較すると、義務教育を終え学校教育費が高くなる高校でこそ、学校教育費>学校外活動費となるものの、公立の小中では学校外活動費は、学校教育費+学校給食費の2倍の支出となっている。(下図は小学校のデータ。上記のグラフと同じく、平成26年度「子供の学習費調査」の結果についてより)
 

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つまりは「教育費が高い!」って言うけれど、就学に必要な費用は、前回のブログの通り、それほど高額ではなく。結局のところ、学校外活動費に対して取捨選択してお金出して総学習費の平均値を高くして「教育費が高い!」と感じるデータを作り出しているのは、他でもない親自身なのではないかと思ったりする。

 
私は小さい頃から、理屈っぽい子どもだったので、両親が両親の時間と労力をかけて得た所得で子どもをどこまで養う必要があるのかについて、よく考えていた。子どもを持つことを望んだのは、まぎれもなく両親なのだけれど、衣食住など生命維持に必要な最低限の部分はまだしも、例えば、教育費のうち、学校外活動費のような補助的部分に関して、本当に親に負担させてよいのだろうかと悩んでいた。
 
両親は、自分たちが高校卒業とともに就職せざるを得なかったことを、とても不本意に思っていたので、それほど裕福な家庭ではなかったけれども、子どもの教育にお金をかけることを厭わなかった。けれど結局。私は、逆に、そうした親の態度に対して、意地になっていた部分もあり、親の勧めを断って、塾へも通わず、高校も大学も、国公立を1校受験したのみで、親の経済的負担を極力減らす選択をした。両親の教育に対する気持ちには、とても感謝しているし、親にとっては子どもの成長が楽しみであることも、子どもの未来への投資という考え方があることも理解できるけれど、私は、両親が自分たちの成長や自分たちの楽しみ対しても、お金や時間といったリソースを使う方が、親として健全であると感じていた。そして、自分の両親にはそういうリソースの使い方をしてほしいとも思っていた。子どもの時だけでなく、大人になっても継続して勉強も努力も必要で、成長していくということが、人生の楽しみにつながるということを、身をもって示してほしかった。
 
自分の経験を振り返ると、勉強の意味もやり方もよくわかってなかったし、もう少し上手くやればよかったという後悔もたくさんある。いわゆる"学歴"のある周りの人たちが、就職活動をせずとも推薦でさくさくと就職して、ポジティブフィードバックがかかった生活を送っているのもたくさん見ている。けれど一方で、私自身、曲がりなりにも日本の教育システムに最後まで乗っかってみて思うのは、肉体的、時間的に過多な負荷をかけるような教育や、必要以上に競争心を煽る教育は、時に歪だということ。

溢れかえっている情報や、周りのやり方に流されることなく。親である自分が、子どもに伝えられる何か、伝えたい何かを持っているか、また持とうと努力をしているか。それが子どもの”教育”にとって一番大切なんじゃないかと思う。

子ども自身に知識や技術を習得させることだけが、"教育"ではないんじゃないかと。そんなことを考えていたりしている。